Happy 365 Days
マンションのドアが開いて施錠される音を、ハイドは夢うつつの中で聞いた。
ガラの自宅があるそこそこ築年数の経ったマンションは、数年前にドアの改修工事が入り、形ばかりカードキーに変わった。しかし蝶番が依然軋む音を立てているあたり、古びているという印象は変わらない。
いわく付きのおんぼろ自動車と同様、そんな年季が入った物たちほど、ガラもハイドも手放せない性分である。居住性の点では今ひとつといえる自宅から引っ越そうという話は、まだ互いのどちらからも出ていない。
「ハイド? ……寝てるのか」
リビングの天井照明を点けて部屋に入ってきたガラは、ソファに寝転がっているハイドを見つけて声を上げた。ハイドは目覚めているような、眠っているような中途半端な状態だったから、半分は当たりで半分は外れと言えた。
大きな身体の人狼が歩み寄ってきて、ソファの前に膝をつく。そこにはローテーブルがあり、プレゼントがひとつ置いてあった。ほかでもない、ガラへ宛てた誕生日プレゼントだ。
ハイドは薄らと目を開けて、テーブルの上の時計に目をやる。時刻は一一時四〇分。今日が終わるには、まだ二〇分ほどある。ハイドは起きていることを気づかれぬよう、そのままそっとガラのようすを盗み見た。
「……アルバム?」
普段から無口な、けれどやさしすぎる気性をした人狼が手にしたのは、手のひらに収まるほどの大きさのアルバムだった。
ガラはゆっくりと|頁《ページ》を|捲《めく》り、捲り、また捲る。そうしている内に|深碧《しんぺき》の目から涙が一粒零れて、太い指が自らの頬を拭った。
「気に入ったか?」
「わっ──起きてたのか」
だしぬけに声をかけられて、ガラが飛び上がる。ハイドは身を起こすとソファの上をにじり寄り、広い肩に頭を乗せ、自分もアルバムを覗き込んだ。
一頁に一枚ずつ貼られているのは、特別なものはなにもない、日常風景の写真だ。ガラの自室の窓から見る風景であったり、行きつけの公園であったり、喫茶「コーヒートーク」で出されるドリンクであったり。
見る者が見れば、何のドラマもない、なんと退屈な写真集かと思うだろう。だがそれがいいとハイドは思った。ガラが今、生きてここにいることを|言祝《ことほ》ぐのなら。
「ハイド……何て言っていいのか……あぁ、いいことばが思いつかなくてすまん」
「気に入ったか、気に入らないかだけでいい」
「気に入らないわけがない!」
ガラが少し興奮気味に言う。それでようやく内心、肩の荷が下りたハイドである。なにしろ、撮影したのはハイド自身なのだ。プレゼントのチョイスには自信があっても、写真の腕には改善の余地があると客観的に思っていた。
こつこつ撮りためること、一年。いつになく喜んでいるようすのガラを見れば、手間をかけた甲斐は十二分にあったといえる。
「誕生日おめでとう、狼くん」
「ありがとう。大事にする」
そう言ったガラに、ごく何気ない所作で抱き寄せられたものだったから、ハイドは少々面食らった。それからどうなるのかと思いきや、ハイドの髪に口元を埋め、ガラはぴたりと動かなくなってしまう。
「おい?」
「悪い。ちょっとこのまま……」
抱きすくめる腕は思ったよりも力強く、ハイドはろくすっぽ身動きが取れない。
厚い胸板ごしに感じる高い体温と窮屈さとで、だんだんと肌が粟立ち始める。けれど耳にかかる吐息は深く静かだし、ごく規則正しいものだから、なんだかハイドだけが悪いことを考えているような、いたたまれない気分になった。
まるで拷問のような一瞬の時間を過ごし、やがてハイドは解放される。身体を離したガラは案の定、何の他意もない顔をしていて、悔しさのあまりキスで仕返しをした。吐息が触れる距離で一刹那見つめ合い、笑みが漏れたのはふたり同時だ。
「アルバムを最後まで捲ったか?」
「いいや、まだだ。なにかあるのか?」
訝しげに、ガラがアルバムに目を戻す。一頁ごとに飾られた写真はフィルムカメラの写真を現像したものもあれば、ポラロイドで撮ったものもある。
それぞれの写真にはナンバリングが施されていて、最後のナンバーは「三六四」だった。
「──最後の一枚は、今日だ。さ、ケーキを食べるぞ。あと一五分でな」
「はは、そいつはちょっと……自信がない」
「文句なら、誕生日だというのにお前をこの時間まで拘束した職場に言え」
冷蔵庫から取り出したホールケーキをテーブルに置き、フォークを手にしたガラが照れくさげに笑う。
ハイドは二眼レフカメラを手に取って構図を決め、シャッターを下ろす。三六五枚目の記念写真を、フィルムに焼き付けるために。