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FLY IN THE STARRY HEAVENS―星間飛行―

 その言い分を思いついたのは、いったいいつからだっただろうか。
 自分も紅葉も葉もまだちいさい頃は、あのひとがとても遠くおおきな存在におもえていた。
 銀の髪をなびかせる姿はつよくしなやかで、だがともに過ごせば、その素性がひどく子どもっぽいものなのではないか、という疑念がすぐさままとわりつくようになった。
 予感が確信に変わったのはいっしょに寝起きするようになってしばらく経ってからのことだ。
 夜にたちの悪い夢を見ることがあるらしく、まれにではあるが人しれず|魘《うな》されていた。
 たとえば、バベルの管理官に捕縛されるすこしまえのこと。
 その夜、さいわい紅葉も葉もよく寝ついていたようで、目を覚ましたのは真木だけだった。
「……ハァ、ハっ」
 尋常ではない息づかいに目をさました真木司郎は、すぐさまそれが誰のものであるかを理解した。
 銀色の髪が布団に散って、夜の暗闇のなかでも彼がそこにいることがはっきりと分かる。葉と紅葉と、司郎と並んで寝ているはずだったそのひとの背はなにか痛みを耐えるようにふるえていた。
「少佐?」
 ほかの子どもを起こさないようにひっそりと呼んでも目を覚まさない。どころか、もがく手が寝具を握りしめて、うわごとのようなものを零した。
 はぁはぁとつく息はあさく速く、身につけている夜着がはだけて、あらわになった胸元が寒々しい。
「……は、……ぁ‥…がっ」
「少佐!」
 司郎のほうが耐えきれなくなって肩に手をかけて揺すると、兵部ははっと目を開けた。
 うす暗がりのなかで視線を漂わせ、司郎のほうへと目をむける。そのまなざしがいぶかしげに司郎を見た。
 まるで「誰?」とたずねるかのようだから、先まわりして教えてやる。
「……おれだよ」
 兵部はゆっくりと、慎重に息をはいた。安堵からとも、気まずさからのものともとれる。
「しろう……どうした?」
 どうしたもなにも、と言いたいところだが、ふるえる言葉尻から兵部がことを理解したうえで平静を装うとしていることは司郎も分かっていた。
 口を噤んだのは、正解が分からなかったからだ。実を言えば、そうして真夜中に起こされるのははじめてのことではなかった。
 以前もおなじように兵部のうめき声で目を覚まし、「大丈夫ですか」と声をかけ──大丈夫だよ、とどう見ても無理をしている顔でほほえんだ兵部は、翌朝まですがたをくらましてしまった。
 司郎は、失敗した、と悔やんだのだ。あれほどつよい人が、育て子とはいえ他人に弱ったすがたを見せたがらないのは当然だ。
 自分から危ないことに足を突っこむきらいのある兵部だったが、それでも苦しんでいるすがたを見るのはしのびない。
 その時自分がそばにいられないのなら、なお更のことだった。自分の知らないところで、痛みを抱えてほしくはないのだった。だからといって隣で魘されるままにしておくこともできず、司郎は声をかけてしまう。
「その……」
 ぎこちない恰好で、司郎は言いわけを探す。そばにいてもいい、という言いわけを。
「おれ、ちょっと……眠れなくて」
 おずおずと口にだすと、兵部はきょとん、としたようだった。たちまち、いたたまれなくなる。
「だから、あのっ……わ、悪い、起こして」
 眠れなくて親代わりの彼を起こすだなんて、ウソとはいえ恥ずかしいきもちがぐんぐん育ってきてしどろもどろになっていると、兵部はちいさく吹きだした。
 司郎はカッとなる。
「わ、笑うなよ」
「っはは……ごめんごめん。そうか、なにか気になることでもあったかい?」
 それは強いて言うのならあんただと、零れそうになることばを飲みこむ。|精神感応能力者《テレパス》である兵部には、そんな思考もつつぬけなのかもしれなかったが。
「ほら、おいで」
「えっ」
 腕を引っぱられて、布団のなかに引きずりこまれる。
「おい、待てって」
 焦って腕をつっぱねるけれど、兵部はおかまいなしだ。
「なんだい、眠れないんだろう?」
「そうだけどっ」
 せっかく口実を見つけたはいいが、そんな風に子ども扱いされるところまでは頭がまわらず、申しわけ程度に抗ったけれど|念動力《サイコキネシス》で抑えこまれてしまう。
 うすい夜着を隔てた懐にかかえこまれると胸がどくどくと高鳴った。司郎よりもひくい体温。
 日に日におおきくなっている司郎の|体躯《からだ》は、すでに兵部よりもかろうじてひとまわり小さいという程度だ。
 兵部は司郎の背を抱きしめるとはぁ、と深く息をついた。
「……あったかいなぁ」
 やたらと安心したように言うので、司郎のなかからはいよいよ反抗する気がうせる。窮屈な腕のなかでじっとしていると、自分から兵部へと体温がうつっていって、だんだんとその差が埋められていくのが分かった。ひとしくなっていく温度が泥のようにここちよくて司郎は兵部の胸に頬をすりよせる。
 以前よりすこし、うすくなったように感じる白い胸の奥から、とくりとくりとかすかな心音が聞こえる。
 そこにある痛々しい傷の理由を司郎はしらないけれど、今は一刻もはやく彼の元から悪夢が去るようにということだけを祈った。
「あんたも……あったかい?」
「うん。すごくね」
「そっか」
 規則正しい鼓動に送りだされるように眠気が司郎を襲って、ひとつあくびを噛み殺す。
「眠れそうかい?」
「あ、うん」
 あいまいに首肯した司郎の額にくちづけが降ってくる。頬が火がついたようにあつくなるのを感じた。
「ほんとに……もう、子どもじゃないんだって」
「おや。じゃあ、こっちのほうがよかったかな?」
 くすりと笑った兵部の指がとん、と司郎のくちびるを叩いて、一瞬司郎の思考はとまった。
「──ばっ!![#「!!」は縦中横]」
 がばっとび起きる。
「バカ言うな!」
「クク……はははっ」
 司郎の動揺を見てとった兵部は盛大に笑った。寝乱れた夜着の襟から覗く胸が──さっきまで顔を埋めていたそれが白くなめらかで、司郎は、どうしたらいいのか分からなくなる。
 兵部自身が思うよりずっと兵部の存在は司郎を惑わせるし、ゆさぶるのだと今この場でつたえられたらどんなにいいか。
「あんたなぁ……」
「怒るなよ」
 そう言って頭をなでた兵部のしぐさは、まるっきり子どもに対するものだ。その手を跳ねのけられるほど司郎はつよくも大人でもなくて、兵部がひとたび念動力を発動させればいともたやすくねじ伏せられてしまう存在だった。それが歯がゆい。
 となりに立てるのはいつなのだろうかと、未来への期待ばかりが高まる。
「もうすこし司郎がおおきくなったら、くれてやってもいいぜ」
「なっ、なにをだよ」
 ドキドキとした胸のなかが隠しきれずにうわ滑りする口で言うと、不意にとなりから声が聞こえた。
「……司郎ちゃん?」
 もぞり、とかたわらの布団から少女が顔を出す。どうやら、今の騒ぎで起こしてしまったようだった。
「紅葉」
「なにしてるの?」
 なにやら眠たげな疑問の声に答えたのは、司郎ではなく兵部だった。
「いや、司郎がさみしくて眠れないっていうものだからさぁ」
「は? おい!」
 とたん、紅葉がえーっと不満の声をあげる。
「司郎ちゃんだけ、ずるい!」
 紅葉がほっぺたをふくらませると兵部は笑って言った。
「ずるかないよ。紅葉も、司郎と一緒に寝てあげてくれるかい?」
「待てって、あんたなに勝手なこと!」
 司郎の焦りをよそに兵部はでたらめなことを言うし、紅葉はしかたないなあ、と肩をすくめて司郎の片腕にぴたっとくっついてくる。
「ふふっ、今日だけだよ、司郎ちゃん」
「だからおれは、そんなこと!」
 やたらとにこにこした兵部と紅葉と、さらには例によってグズりはじめた葉を兵部がついでとばかりに腕に抱えこんで、おしくらまんじゅうのようなかたちになってしまう。
 顔も体も、どこもかしこもみんなアツくてたまらない。その夜、息苦しいほどのあたたかさと恥ずかしさのなかで、とにかくはやく眠ってしまいたいと司郎は懸命に目をつむったのだった。