Golden Era (has gone)
1
おそらくそうなることはどこかで分かっていて、だからさほどの驚きも動揺もなかった。
尤も、八十年も生きてきた男が驚くことなどそうそうないのだけれど。それでもあらためて尋ねてしまったのは未練があったということなのだろうか。
きっと訪れるものがたりの終末を予想しながらも、そうならないことを望んでいたのかもしれない。
「僕らの未来を見届けるんじゃなかったのか?」
空は晴れていた。通りでは昨日の喧騒など嘘だったかのようにいつも通りの日常が始まっている。
この別れも始まりも、けっして大したことではないと言うかのように、当たりまえに時間は過ぎる。
「もちろんだ」
アンディ・ヒノミヤは答えた。ESPの嵐の中、真正面からぶつかってきたときと同じまっすぐなまなざしだった。
*
「少佐、ヒノミヤのことですが」
ホテルの窓からNYCの眺望をぼんやりと眺めていたときだ。真木がいつの間にか目のまえに立ちそう告げていた。
真木に限ってノックもなしに兵部の居室に立ちいるというのはありえない。おそらくぼうっとしていて聞きのがしたんだろう。
ヒノミヤのことを言われたのだと遅れて認識する。
「起きたのか?」
「いえ。ですが、苦しがっているようにも見えません。ただ寝ているようにしか」
「つくづく、頑丈なやつだ」
思わずため息が漏れた。関心というよりもあきれに近い。
「丈夫そう」だというのが確かにヒノミヤの第一印象ではあったが、まさかここまでタフだとは、というのが正直なところだ。
兵部京介のESPを半永久的に押さえ込み、それでもなお寝ているだけですむ人間がこの世に存在するとは思わなかった。
兵部はといえば、一夜明けてとくに不都合もなく健やかな朝をむかえている。うそのような話で、正直まだ半信半疑というところだった。
なにしろ兵部のちからを押さえつけるなんてことをやってのけたのはアンディ・ヒノミヤが最初で、おそらく最後だろう。
「……念のため、ヤブ医者にコンタクトをとっておけ。昨日の今日だ、まだ事後処理に追われてるんだろうが所見のひとつでも寄越すだろうさ」
ヒノミヤの容体に関して専門家に意見を求めろと腹心に命じる。前例のない事態なものだから、ヒノミヤが今後どうなるのか兵部自身にさえわからない。
ただ寝ているように見えても、このまま目をさまさない可能性だってある。
「承知しました」
真木が目を伏せると、かたわらのソファから鈴のような声が聞こえる。
「しょうさ……?」
今まで眠っていた少女が目をこすりこすり体を起こす。彼女もまた、ヒノミヤに力をかした功労者のひとりだ。
「ユウギリ。もうすこし寝ていてもいいんだよ」
足元に歩みよったユウギリの頭を撫でると、彼女はううん、と首を横にふった。
限界までちからを使ったことでずいぶんと消耗しているだろうに、それより気になることがあるらしい。
「……アンディは?」
紅玉のような目がぱちくり、とひとつ瞬いて兵部を見る。
「まだ眠っている。ユウギリといっしょに頑張ったからね」
「ん……」
とたんにしゅん、とうなだれるすがたに心が傷み、同時にそんな顔をさせるあの男に若干の腹立たしさを感じた。
娘をとられる父親の気持ちとはこんなものだろうか、と思う。むろん、兵部自身ヒノミヤに感謝のきもちがないわけではなかったが。
「大丈夫だ、ユウギリ。あいつのことだ、目がさめて飯のひとつでも食えばすぐ元気になる」
真木が口を開いて、ユウギリはほんとう? とばかりに兵部の顔と見くらべた。
「本当だよ。そうだ、いっしょにヒノミヤのおみまいを買いにいこうか」
「少佐!」
すかさず真木がとがめる声をだす。反対にユウギリの目は期待にふくらんだ。
「いっ、いく!![#「!!」は縦中横]」
「少佐……まさかあれだけの騒ぎを起こしておいてご自分のお体のことを自覚なさっていないとは言わないでしょう?」
真木は前のめりに言う。
「分かってるよ。ちょっと買いだしに出かけるだけだ。テレポートもテレパスも使わない。それならいいだろう?」
「そういう問題では!」
じゃあどういう問題なんだい、となかば真木を無視してユウギリの手をとる。
「行こうか、ユウギリ──真木、お前にはやるべきことがあるだろう」
もちろんヒノミヤの容体のことだけではない。
USEIの指揮系統はすぐには復旧不可能とはいえ、自分たちはまだ敵地のただ中にいるに等しいのだ。
相手方が体勢を立てなおすまえにここを発たなければならないし、そのための航路も見つける必要がある。
真木は苦々しい顔を見せたが、たっぷり数秒迷ってから、分かりました、と告げた。
兵部は苦笑した。自分の意見と兵部の命令なら真木は後者を優先する。それが多少理不尽なものであってもだ。
──兵部のもとへやってきたいちばん初めの子は、いつからか駄々をこねるということをしなくなった。
黙りこんだ顔を見てすこしかわいそうだったかな、と思い、その肩をたたく。
「大丈夫。すぐもどるよ」
「はい」
三十にもなって親鳥に置いていかれた雛のような顔をする男に笑いかけて、兵部はホテルの一室をあとにした。
向かう先は手近な売店か、見舞いといってもすぐに思いつくものは食料くらいのものしかない。
「アンディ、なにがたべたいかな?」
ユウギリが手を繋いで歩きながらつぶやく。兵部はちょっと考えて、すぐさま思いつかないことに気がついた。
あいつは船のなかで何を食べていたか、と思いかえそうとして、そうして共に過ごしたのが、たった三ヶ月ぽっちのことだったことに気づく。
短くも長い三ヶ月間だった。
「そうだね。ユウギリはなにがいいと思う?」
「うんと……」
いとおしいわが子は口もとに手をあてて考えこみ、ぴょこり、と顔をあげると声を張りあげた。
「アイスクリーム!![#「!!」は縦中横]」
「アイスか……」
ヒノミヤの好みにそれは合うだろうか、と疑問に思ったけれど、あの腹には基本的になんでも収まりそうだし、かりに固形物が食べられなかったとしてもアイスというのは悪くない選択かもしれない。
「分かった。それにしよう」
ほほえみかけると、不安げだったユウギリの顔にぽっと笑顔が灯った。