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Darkness Before The Dawn

Part.C

 燃え盛る船。見渡す限りに広がる死の海。
「兵部──!![#「!!」は縦中横]」
 業火の中を落ちていく濡れ羽色の体に追いつき、ほとんど本能のままに腕を伸ばした。意識を失った体を抱えると、重力に従ってアンディの体までも落下速度が速まる。
 兵部の頭を庇ったまま、ほとんど水面に叩きつけられるように着水した。衝撃で酸素を吐き出してしまいそうになり必死に歯を食いしばる。
「……っ!![#「!!」は縦中横]」
 胸の内側で速まる脈動。自分はまだ生きている。一面に泡が舞い上がる。随所で上がる火の手により黒々とした海が紅蓮の色に染まっていた。
 元はカタストロフィ号であった残骸に混じって、墜落した戦闘機と操縦士達が同じように水底へ向かって沈んでいくのが見える。まさに地獄のような、だが安らぎをすら覚える破滅の光景。
 頭上から降り注ぐ赤い光を、アンディは自分達の体越しに見つめた。
 ──化け物。
 撃たれる間際に投げ掛けられた、憎悪の固まりとも言える言葉がフラッシュバックする。では、その化け物たちの中に確かに感じられた温もりとも呼べる絆は何だったのか。
 例えはみ出し者の掻き集めでも、偽りであっても、彼らは自分達のことを家族と呼んだ。ノーマルによる畏怖のまなざしは潜在的に全てのエスパーに向けられるもので、いずれアンディ自身をも殺すものかもしれない。
 ──いや、多分もう一度死んでいる。
 アンディ・ヒノミヤは今日、死んだのだ。内出血を起こしているであろう心臓の上の皮膚が軋んで悲鳴を上げた。
 潜入操作官として、自分が果たした役割とは何だったのか。心にポッカリと開いた弾痕が、兵部の体に残る古傷と重なる。
 ──ああ、俺も同じなのか。
 と、アンディは胸の内に吐き捨てる。兵部の額に残る古傷の理由。もしももう一度言葉を交わせるのなら訊いてみたかった。
 心底傷つけられながら何故、それほどまで抗うことを止めないのかと。恐れと順応としかなかったアンディの人生には存在しなかったのだ。世界に反抗しようなどと、ましてや革命を起こそうなどという考えは。
 遥か昔には、不条理を糾弾する気持ちもあったのかもしれない。しかし迫害にもやがて慣れた。
 兵部の気に入りの学生服は袖が破れ、直に生白い肌が覗いている。煤に汚れた顔はいつも余裕気な笑みを浮かべていた彼には不似合いだ。
 抱えた体はアンディに比べればよほど薄く、今しがた神掛かり的な力を放っていたのが嘘ったのではないかと思えるほど、その体躯は脆く感じられた。
 揺れる銀糸の向こう、波間に一際赤黒いものが見えた、と思うと、
 ──なんだ、これ。
 アンディは目を見張る。夥しい血液が兵部の背中から流れ出ている。見れば決して広くはない背中を真っ二つにした傷があった。鮮血が後から後から溢れ出して、海水の中へと溶けて広がる。
 ヒヤリとしたものがアンディの脳裏を掠める。このままでは、早晩兵部京介は死ぬだろう。
 船は沈み、兵部を失ったP.A.N.D.R.A.がどうなるのか、結果は目に見えている。
 ──殺させない。
 と、俄に全身が沸き立った。
 アンディは、腕の中の体を目一杯の力で抱き締める。密着した体から伝わる掻き消えそうな鼓動がアンディに奮起するだけの気力を与えた。
 失えないと感じる。今この存在を手放してしまったら、エスパーは──自分は二度と立ち上がれないのではないかと思った。
 少なくとも二度、アンディは命を助けられている。そしてそれ以上に、失ってはならない自分の中の大事な何かを兵部にずっと守られてきた気さえするのだ。出会ったのは、ついこの間のことなのに。
 ──死ぬな。
 決然と思う。随分と虫の良い願いかもしれない。だが間違っても殺すつもりではなかった。
 深く深く潜っていく体を叱咤し四肢を動かす。兵部を片腕に抱えて水上に出られる場所を探した。
 ──あいつらには、あんたが必要だ。
 真木、紅葉、葉の顔が浮かぶ。ユウギリを奪われた罪悪感に足を取られながら、アンディは炎の渦巻く海面へと上がっていった。
 自分達を包む赤銅色の光。思い出すのはあの日、何の変鉄もない宵のこと。