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「賢木先生」
 呼ばれて振りかえる。夕刻をすぎたラボは人影もまばらで、所用から帰った賢木とアシスタントの女性がふたりばかりだった。
「さきほど皆本二尉がいらっしゃいましたよ」
「皆本が?」
 賢木は首をかしげた。友人である皆本光一はいま、先日のチルドレン緊急出動の事後処理に追われ多忙を極めており、たしかに顔は合わせていないが用向きがあるなら電話で連絡を取りあえばすむことだ。
「不在ですとお伝えしたら、デスクにお届けものを置いていかれました」
「届けもの……?」
 みずからのデスクのうえを見やると、確かにてのひらほどの箱が置きざりにされている。研究資料にしては妙に小綺麗な包装だ。
 つつみを開けると、ちいさなメッセージカードがこぼれた。どれどれ、と目をとおす。
 ──ハッピーバースデー、賢木。直接わたせなくてすまない。
 賢木は目をしばたかせ、ややあって笑う。
「なんだ、覚えてやがったのか」
 包みは、どうやら見ためからしてケーキのようだ。そんなことのために限られた時間を割いてやって来たのかと思うと、律儀さに頭がさがる。
 祝うつもりも、祝われるつもりもなかったのだがあの天才はひとの誕生日まできっちり記憶しているらしい。まったく皆本らしいな、と思うと、あまく苦い味がくちのなかに広がった。
「今日、お誕生日だったんですね」
 メッセージカードをのぞきこんで、アシスタントが言う。メディカルルームで賢木のアシスタントを勤めるうら若いレディだ。ちなみに、まだ手はつけていない。
「ああ、実はそうなんだ」
「言ってくだされば、みんなでお祝いしたのに」
 まあ賢木先生にはもう先約がはいっているんでしょうけど、とふくみのある目線で言われる。賢木は、あいまいに笑うことしかできない。
「ま、そういうこった。今日は早めにあがらせてもらうぜ」
「わかりました。どうぞごゆっくり」
 アシスタントの女はにこり、と笑った。きっと頭のなかでは、賢木が意中の相手とすごす様子を思い描いたのだろう。
 しかし実のところをいえば、今日家で出迎えてくれる恋人もいないし、家に帰ったところで暗い部屋が賢木を待つばかりだ。さみしさを晴らしたいと願ったとしても、はたすべき約束もないからいくべき場所もない。
 なにより、どこへも出かける気にはならなかった。意外におもわれるかもしれないが、誕生日は毎年こうだ。
 おそらく賢木修二の誕生日を知っているのは、親族と皆本を除けばほとんどいないにひとしい。
 話すべきひともいないままマンションにもどり自室の戸を開ける。すると、光が漏れてきて賢木は目を丸くした。
 玄関ホールの奥、リビングにつづく扉から光が見える。
「……あ?」
 出かけるときに明かりを消しわすれたのかと怪訝に思いながらリビングにあがって、そこにいるすがたにもっと度肝を抜かれた。
「お……まえっ!」
「やあ、ヤブ医者。あがらせてもらってるよ」
 ソファに腰かけるのは、銀髪に学ランの男。
 少年のすがたをした犯罪組織のリーダーは、勝手知ったるようすでくつろぎながらのうのうと手を挙げた。
「あがらせてもらってる、じゃねえよ!」
「そんなに驚くようなことかい? いつもきてるじゃん、夜這いに」
「ヨバイとか言うな!」
 兵部は手にしていたマグカップを見せびらかすように中身を飲みくだす。むろん、賢木の私物だ。
 ミルクのようだったけれど別段知りたくもない。そう、兵部が賢木の家にあがりこむのは、はじめてではない。
 どころか、兵部は定期的に賢木のところにやってきては勝手気ままにふるまっていた。まるでいつのまにか居いついた野良猫のように、それが当たりまえであるかのように。
 余興だと言って行きすぎたイタズラをしかけてくることもある。問題なのは、賢木がそのいたずらを拒めたためしがない、ということだ。
「いつも言ってんだろ、勝手に入るなよ」
「あれ、入るってのは別にいいんだ?」
 いけしゃあしゃあと言う兵部に、いやよかねえけど、と苦いことばを返す。どう見ても、ふり回されている。
「超能力者にとって、ECMのほどこされていない壁なんて鍵のかかってない扉とおなじさ。どうぞご自由にお入りください、って意味だと思ったけど?」
「お前には常識ってもんがねーのか」
「あいにく、そんなものは僕の行くさきを妨げるには及ばないね」
 兵部は傲慢を絵にかいた顔で言い、あたかも賢木の胸のなかを見すかすようにたずねた。
「そんなことより、誕生日だっていうのに、デートのひとつもなしかい?」
 せせら笑うように言われて、賢木はむっとする。なまじ真実だものだから一笑に付すこともできない。
 どこで誕生日のことを知ったのかしらないが、この男にプライバシーという概念を期待するほうがおかしいのだ。
「うるせえ。お前にゃ関係ないだろ」
「誰にも誕生日を教えないなんて、案外陰気だねぇ」
「あーもう、黙ってろ!」
 上着を脱ぐついでに、手にしていたバースデープレゼントをテーブルにほうり出す。それが何であるのかを察したらしい兵部がやけに楽しそうに笑った。
「皆本クンだけってわけか、ちゃんと覚えててくれたのは」
「あいつは、そういうヤツなんだよ。お前とちがってな」
「ひどいなぁ、僕だって覚えてたさ」
 兵部は胡散臭い笑みで、許可もなしに包みを解きはじめる。この男はどこまで傍若無人なんだと思いこそすれ、止める気にはならない。皆本にもらったプレゼントに、そこまでの執着はないのだ。
 思いちがいをしてはいけないのは、それが毎朝かけられるあいさつのようなものだ、ということだ。
 まちがっても、賢木に特権的に与えられるものではない。夢など見てはいないし、必要ともしていない。
 皆本を独占するための権利は、ちがう誰かーたとえばチルドレンの誰かに与えられるものだろう。
「だから大事なんだろう、あの坊やが」
 上着を壁にかけて振りかえると、兵部が確信的な顔で告げた。
「……どういう意味だよ」
「ことばどおりさ」
 兵部がパチン、と指を鳴らすとワインとグラスがテーブルのうえに現れる。
「座れよ。どうせ、予定もないんだろう?」
「ああ……まあ、そうだな」
 賢木は頭をかく。
 街に出て行きずりのひとでも見つけられないかと思っていたが、見知らぬ誰かと一夜を共にするなら兵部とだってさして変わらないはずだ──いや、変わるんだろうか。どちらにしろたいした問題じゃない。
 賢木は歩みより、なにが面白くていすわっているのか不明の兵部のむかいへと腰をおろした。
 兵部が勝手に開けたらしく箱はすでに開かれていて、なかからは男の趣味ともおもえない可憐なケーキが顔をのぞかせていた。
 誕生日プレートに「おめでとう、修二くん」とあるものだから思わず吹きだす。
「まったく、小学生じゃねえんだから」
 見た目はたいへん愛らしく皆本らしいが、いかんせん、口にする気にはならない。かわりに兵部の持ってきたボトルをグラスに手をつけた。
「なんだ、食べないのかい?」
「お前食いたきゃ、食っていいぜ。俺はあまいもんは苦手だ」
 手軽なウソを口にすると兵部はふうん、と自らの手でフォークをとった。
「ほんとうは皆本ひとりを独占したかったけれど、できないから落ち込んでいる、ってわけか」
「勝手にひとを女々しい性格にすんじゃねえ。そんなんじゃねえよ」
「そうかい?」
 兵部は信じていない顔でケーキの一角を崩す。切り分けるなんていう発想はないみたいだ。
「でなければ、誕生日を祝われるのに慣れていない、ってところか。不慣れで、疎んじてもいる」
「……なんで、んなこと分かる」
 接触感応も使わずに、賢木のこれまでの人生が分かるはずがない。しかし、兵部は分かるさ、と横顔でこたえた。
 にわかに、まるで親かなにかのような口ぶりで。
「当たりまえに生まれたことを祝われるなんていうことは、超能力者の子どもには当てはまらない。だろ?」
「……そりゃ、そうかもしれねえが」
 言いようのない感情が胸をしめて、賢木は兵部を見つめた。
 特に皆本のまえでは子どもっぽさが目立つから忘れがちだが、こいつは超能力犯罪組織の首領で、何人もの子どもを拾い、保護している。
 彼らのゆくすえが兵部とおなじ犯罪者である以上手放しの賛美なんてできないが、それでもその慕われようを見れば分かる。
 パンドラの子どもたちのとってのこいつが、何であるのか。兵部のことばが理解できてしまう自分を自覚しながら、赤い液体をのどに流しこみながら兵部の手元をぼんやりと見つめていると突如、風を切る音とともに兵部がすぐ脇に瞬間移動した。
「うおっ」
 思わずグラスをとり落としそうになる。
「なんだイキナリ!」
「君があんまりシケた顔をしているものだから」
 兵部はフォークにスポンジケーキを乗せたまま賢木の目のまえに差しだした。悪い予感が背をつたう。
「こういうときなんて言うんだっけ?」
「おいまさか、」
「ああ、そうそう、「あーん」だ」
 兵部がどこかの男の安い妄想のようなことをし始めるので、賢木は飛びすさんだ。もっとも、すぐうしろはソファの肘かけだったが。
「ふざけんじゃねえっ」
「あれ」
 兵部はきょとん、とする。
「子どもたちは喜んで食べるんだけど」
「いつ俺がお前の子どもになったよ!?[#「!?」は縦中横]」
 かっと顔が熱くなる。反対に兵部の顔は、どんどん活き活きとしてくるものだからたまったものではない。
 おそらくひとをからかうことにかけては兵部の右にでる者はいないんじゃないかと思う。
「せっかくもらったプレゼントをむだにするなんて、いつからそんなにツレない男になったんだい?」
「んなときばっか、おべっか使いやがって」
 すこし上目づかいににんまりと笑んだ兵部が言って、賢木は毒づく。背中を寒気のようなものが走った。寒気のような──官能を感じたときの戦慄にも似た。
「いいから、ほら……賢木センセイ?」
「……くそっ」
 攻防のすえ根負けしてうっすらと口を開けると、遠慮介錯なくフォークが突っこまれた。
「んぐっ」
 喉の奥まで刺さりそうになってえずく。涙目になった賢木の口のなかでやわらかいスポンジケーキがほどけて、あまったるい生クリームのかおりがひろがった。
 普段は女性にあげるいっぽうで、じぶんで口にしたのはひさしぶりだ。
 ひさしぶりに食べるバースデーケーキとやらはやたらに、あまい。
「おいしいかい、センセイ」
「ん、……めぇ、けどよ」
 賢木はスポンジを咀嚼しながら、どこかいぶかしいきもちになった。おそらくこのケーキは、皆本手製のものではない。
 あれだけ料理に自信を持っている皆本が、買った食品を他人にふるまうのは珍しい。もっとも、それだけ時間に余裕がなかったということなのかもしれなかったが。
「クク、生クリームもなかなか似合ってるよ」
 兵部の指先が賢木のくちのはを拭ってみずからの舌でなめとる。その光景に不覚にも見入っているうち、もうひと山スポンジをフォークに乗せると兵部はふたたび賢木の口元に運んだ。
「いや、いいって」
「なんだよ。もう要らないのか?」
 さすがに二口目は気がひけて賢木は制す。センチメンタルな気分を抜きにしても、それほどケーキを食べる気分でないのはほんとうだ。
 兵部は思いどおりにいかない子どものようにすねたような表情をうかべた。
「せっかくなんだから食べたらどうなんだい。この国じゃ一、二を争うパティシエの作なんだぜ?」
 兵部が言って、賢木はふと眉をひそめる。どうして、兵部が知っているのだろう。皆本がどこでケーキを買ったかなんて。
 賢木が見すえると、兵部はあからさまにまずい、という顔をした。
「あ……やっべ」
「兵部!」
 逃がすまいと腕をつかむと、アハハ、と軽い笑いをうかべた。
「いや、これはだな、ヤブ医者」
「まさか、お前が買ってきたのか!?[#「!?」は縦中横]」
 十五歳の見た目をした、大人げないジジイをまじまじと見つめる。兵部はああだ、こうだと唸っていたが、やがて観念したのか、
「そうだ、そのとおりだ!」
 と開きなおった。
「ハ、……まじかよ?」
 兵部はすこし決まりわるげに、フン、とふんぞりかえる。
「憐れなヤブ医者のためにあつらえたんだ。感謝しろ」
「……なんで、んなこと」
 賢木が見るかぎりでは、さびしい誕生日を送る賢木のため。それ以上の意図は兵部にはないようだった。
 けれどだからこそ疑問がのこる。兵部には、ケーキを買い、バベルに潜りこみ、催眠(ヒュプノ)でアシスタントを化かしてケーキを置いてくるなんていう、ばかげたことをするいわれはないのだ。
 賢木なんかのために曲がりなりにも危険な橋をわたったのかと、あきれにも近いきもちがうかぶ。
「別に、お前を特別扱いしてるわけじゃないさ。パンドラでは、いつもこうして誕生日を祝うのが習慣だ」
「だから、俺はお前んとこのガキじゃねえんだけどな」
 苦笑すると兵部は賢木を見かえした。
「家族じゃなくたって、おなじことさ。すべての超能力者は祝福されるために生まれてきたんだ」
 兵部の口からこぼれた他意のないことばに、賢木は面食らう。と、同時に目を奪われた。いつもの不敵な笑みのなかにやわらかい色を見た気がしたからだ。
「お前にしちゃ、甘いことを言うんだな」
「それを言うなら、おたがいさまさ。このケーキに毒が入っている可能性は考えないのかい?」
 指摘されて、それもそうか、とすなおに受けとめる。毒入りかそうでないかなんて接触感応を試みれば一発だろうが、確かめるにはおよばないという気がする。
 特務エスパーとしてでも、医師としての経験則でもない。ただ純粋な直勘が賢木にそう告げる。
 賢木は、兵部が手にしたままだったフォークに手を添えて二口目を頬張った。
「せいぜい、涙して味わうといい」
「……ん」
 甘ったるいケーキを頬張る賢木を見て、兵部が満足げな顔を見せた。賢木なんかのためなんかにこころを砕く兵部を、馬鹿だとおもう。
 ──けれど、きしむような胸の痛みがとけて消えていくようなこの感覚は、なんなんだろう。
 きっと、単なる気まぐれだろうと思っていた。飽きたらこの家を去る、気まぐれな居候なのだろうと。
 それに不満はないし、深追いするつもりもない。けれど、今のこの感情だっていつわりようがないものだ。
「あんがとよ」
 賢木は笑って告げると、つかんだままだった兵部のからだを抱き寄せるとくちづけた。
 だしぬけにくちびるを奪われた兵部は目をまるくして、引き寄せられるがまま生クリーム味のキスを受けいれる。
 ふたつのくちびるをついばむとその甘さにくらくらとして、わりこんで嘗めとったおさない形の舌が罪悪感をかき立てる。
 顔をはなし、覗き込むと兵部の顔はすこし不機嫌だ。紅くぬれたくちびるから漏れる息があさい。もっとしたい、とざわめく賢木の体は正直このうえない。
「ここまでくれてやるとは、言ってないんだけどね」
「誕生日の男の家にあがりこんどいてよく言うぜ」
 挑発的に言い、兵部の顔から不敵な笑みをひきだす。
「思いこみが激しいな、ヤブ医者」
「性分なんだよ」
 軽口をたたきながらその体のうえへ乗りあげ、細い銀糸に顔をうずめた。欲求と衝動で、胸が埋まっていく。空欄だったはずのカレンダーの予定。毎年、何歳になっても埋まることはなかった。
 腕のなかの体もまた期待に震えたのを見て、耳たぶを噛みながらささやく。
「お前んちの誕生日では、ここまでしないだろ?」
 気分がいいのを口実にすこし図に乗ったものだから、その後の賢木は念動力で手痛いしっぺがえしを食らうことになった。