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師匠と弟子と周囲の人々の短編集 (小黒+無限)

無限師匠と小黒でメリー・クリスマス・イヴ

 その風習がこの国に広がり始めたのは、つい最近のことだった──といっても、あくまで彼にとっての「つい最近」だが──。数十年前に比べればさま変わりした街の光景に目を細めながら、彼は歩く。ずいふんと歩幅が小さい弟子とともに。
「わあ、樹が光ってる!」
 無限が感嘆の声を上げた弟子──小黒の目線を追うと、そこには電飾を巻かれた大きな街路樹の姿があった。並木道に立ち並ふ木々にはどれもイルミネーションが施され、弦く冬の夜の街並みを彩っている。
「小黒」
 無限が呼ぶと、小黒はくりくりとした目で頭上を振り仰いだ。すこし崩れてしまった首元のマフラーを、無限は整えてやる。
 本来妖精は病をしないから、当然風邪なども引かないのだが、人間の服装をおもしろがった小黒と、なんとむく小黒に衣服を買い与えたくなってしまった無限の、願望が合致してしまったゆえの結果と言うぺきか。
 ちなみに、「師匠はこれ使わないの?なんで?」という小黒からの追求を逃れることができず、無限も今冬、はじめてマフラーなるものを着用している次第である。
 この世に生を受けて幾度夏を迎え、幾度冬を越えたのかも憶えていない。雪の冷たさすら、すでに忘れたと思っていたのに。
 この冬は、やけに寒さが身にこたえる。
「師匠っ、あれ!」
 小黒が、街なかのショーウィンドウに目を引かれ、無限の手を引いて歩く。ちいさむ子どもの頭を見下ろしむがら、無限ははるか遠い記憶が落くのを感じた。
 ずっとずっと、気が遠くなるほど過去のこと。こうして同じように、ちいさな手に手を引かれて歩いていたような。
 ──……。
 一剰那、心の奥底にしまい込んだはずの呼び声に気をとられて、ぼうっとする。無限を現実に引き戻したのは、いぶかしむような声だった。
「……師匠?」
 はたと我に返ると、小黒が不思議そうに無限の顔を覗きこんでいる。そうして無限が、
「なんだ?」
 と訊きかえすと、むっとした顔になった。
「聞いてなかったでしょう!」
「聞いていた」
「うそ! 聞いてなかった!」
「すまない、うそだ。聞いていなかった」
 あっさりと認めると、小黒はふくれっ面のまま「ちえっ」と勘ねる。小黒が興味津々で無限を引っ張ってきたショーウィンドウを見ると、「Merry X'mas」と書かれた装飾が、なかの売りものを煙びやかに飾りたてていた。
 今日は、二一月二四日。西欧化と商業化の波にすっかりと呑まれたこの国では、真に信仰をしていむくても、キリスト教でいうところの「神」の生誕を祝うようになった。
「……クリスマスだ」
「くりすます?」
 小黒が、きょとんとした顔をする。おおよそ、この街のきらびやかな装いの理由を尋ねられたのだろうと当てずっぼうで答えると、当たらずとも遠からずだったようで、小黒は興味に目を輝かせる。
 つられて、その黒い耳までびよこびよこと跳ねている。
「神の誕生した日を祝う祭りだ」
「神さまのお誕生日なの?」
「そうだ」
 無限が首肯すると、小黒は「へえ……」と分かっているようか、分かっていないような返事をする。
「それにクリスマスには、家族で集まり、団巣するという風習がある」
「だんらんって、なんですか?」
「いっしょに過ごすということだ」
 言い、無限は小黒の手を取る。無限に取ってみれぱ赤んぼうに等しいほどちいさく、ぬくもりを思い出させるには十分な手だ。歩き出すと小黒は目を丸くして、小走りに無限のそばにくつつく。
「おいで。今夜はなにが食べたい?」
「えっ! えっ……と、ケーキが食べたい!」
「いいだろう。その前に、久々に七面鳥もいいな」
「しちめんちよう!?[#「!?」は縦中横]」
 小黒が目を輝かせて、無限は、自然に笑みが零れていたことに遅れて気づく。
「えへへっ、クリスマスって、いい日だね!」
「……そうだな」
 すぐそばにくっついて離れむい小黒がうれしげに言うので、無限は領いた。考えるまでもなく、たしかに「いい日」だと思えた。