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黒咻と無限とはじめてのおつかい

 黒咻ヘイシュは、小黒シャオヘイの尾から分裂した生命体だ。
 実のところ小黒にも、黒咻たち自身にも、自分たちが一体何者なのかよく分かっていないところがある。
 黒咻たちには人のことばは喋れないし、できることはあまり多くない。けれど大事なのは、なにより小黒にとって相棒的な存在だということである。
「ヘーイ、ショッ!」
「ハイーン?」
 そのとき、数匹の黒咻たちは寄り集まって鳴き声を交わしていた。もしこの場に人間が居合わせたとしたら、ただの見慣れない生きものの鳴き声にしか聞こえないだろうけれど、これでも黒咻同士の意思の疎通はとれている。
 今、黒咻たちは人間の行き交う街並みの中を、小黒を追いかけて移動している最中だった。
 黒咻たちの意識は基本的に、小黒のそれとリンクしている。小黒は黒咻たちがなにを見て感じているのかが分かるし、黒咻たちはいつでも小黒の意思を汲んで動くことができた。
 けれどたまに、黒咻たちにも小黒の意思を図りかねるときがある。たとえば今は、師匠の無限と別行動を取っている小黒が、ひとりでどこかへ向かっているのか、黒咻たちにも分からなかった。
「ショッ?」
「ヘイ、ヘイショ?」
 小黒は利発な子どもだが、妖精の子どもがひとりで人間の街の中を歩き回るとなると、いささか心配である。放っておくことはできず、黒咻たちはこうして後を追っているというわけだ。
 しかし、活気に溢れた雑踏の中を黒咻たちの身体で移動するのは容易ではない。現に、ぴょこぴょこと跳ねて移動しているうち、
「ショォッ―!?[#「!?」は縦中横]」
 突如として、内一匹が歩行中の人間の足に蹴り飛ばされた。
「……あれ? なんか蹴った?」
「虫じゃないの?」
 涙目で飛んでいった黒咻を横目に、一瞬立ち止まった男とその娘らしき人物は、特別気にしたようすもなく再び歩き出す。
「ショッ!」
「ヘーイショッ!![#「!!」は縦中横]」
 残された二匹は焦ったが、そのとき、吹っ飛ばされた一匹を軽やかにキャッチする手があった。
「ショッ!?[#「!?」は縦中横]」
 目を丸くした黒咻たちの先にいたのは、周囲からすこしばかり浮いた存在感の人間だった。昔風の装束に、重力に従い揺れる滑らかな髪。
 小黒の師である、無限だ。どこかに衝突する前に受け止めてもらえた黒咻は、相手が無限だったと分かるとよろこびに声を上げる。
「ハイーン!」
「大丈夫だったか?」
 黒咻たちはおおよろこびで、膝をついた無限の肩に飛び乗った。
 無限は黒咻たちに比べればずっとずっと大きかった―身体のサイズ的にも、存在的にも―けれど、黒咻たちのことを決してぞんざいにしない。最初に出逢った頃こそ、やや理不尽に扱われたこともあったけれど、小黒が打ち解けるにつれてとても大事にしてもらえるようになった。
 だから、黒咻たちは小黒と同じくらい、無限のことが大好きなのだ。
「ヘーイ、ショッ!」
「お前たちも、小黒のようすを見ていたのか?」
「ハイン?」
 無限が尋ねて、黒咻たちは首を傾げた。ということは、無限も黒咻たちと同じように小黒の動向を見守っていたのだろうか。
「ならば、ともに後を追おうか。滅多なことにならないように」
「ショッ!」
「ハイーン!」
 黒咻は、無限の提案に大いに賛同する。やがて、無限の足で小黒から見つからない程度に距離を置きつつ追いかけると、小黒は賑わう市場の中をするすると進み、立ち並ぶ露店の内、ひとつの店の前で立ち止まった。
 そうしてどうやら、カップのようなものに入った品物を一杯購入したようだった。
「……ショ?」
「いや、私にも分からない。なにか食べたいものがあったのだろうか?」
 訝しむ黒咻たちに無限は言った。遠目からでは詳細は分からなかったけれど、ひとまずそれで小黒の目的は達成されたらしい。
 その後、街中の公園で小黒と落ちあった無限は、後を付けていたことなどおくびにも出さず、何食わぬ顔をしていた。
「師匠っ、いいものがあるんだ!」
「いいものとは?」
 無限が尋ねかえすと、小黒は得意げに、後ろ手にしていたそれを見せた。
「じゃーんっ! 今日、人間の『元宵節ユェンシャオジエ』っていう行事の日だって聞いたから!」
 それはカップに入った、「元宵」という代物だった。一口大の団子の中に、甘い餡を包みこんで湯の中で茹でることでできあがる甘味料理だ。
「師匠も、お祝いしたいかなって!」
「……私に、買ってきてくれたのか?」
「ひとりで買ってきたんだよ! どう? おどろいた!?[#「!?」は縦中横]」
 半年ほど前まで人間の世界とは無縁のまま生きていた小黒は、そう言って得意げに胸を張った。
「元宵節」と呼ばれる今日という日には、元宵を家族で食べるのが人間のしきたりだ。一年の始まりを言祝ぐ春節の行事が一段落し、農作業が本格的にスタートする時節。古からの風習は現代にまで名残を残し、屋台では元宵が売られ、街の至るところに紅色の灯籠が飾られて、華やかな雰囲気を醸し出す。
 幼い弟子の行動の理由を知った無限は、やわらかに相好を崩すと小黒を胸に抱き上げた。
「とても驚いた。小黒はすごいな」
「ハイーン?」
 師弟のやり取りを見ていた黒咻は、きょとんと無限のことを見上げる。黒咻たちは、無限が小黒の後をつけていたことを知っている。ほんとうは無限が「驚いて」などいないことも。
 しかし、黒咻たちの視線に気づくと、無限は口元に人さし指を当て「内緒」のポーズをした。どうやら小黒をがっかりさせないために、わざわざ先ほど見たことを黙っていることにしたようだ。
 黒咻たちは、無限の意図を汲んで大いにうれしくなり、跳ねた。
「ヘーイ、ヘイ!」
「ショッ!」
「……ではさっそくだが、いただこうか」
「うんっ!」
 師弟が公園内のベンチに隣合って座り、無限が匙を手に取る。黒咻たちもまたたのしくなって、ふたりの周りを跳ね回った。それがいけなかった。
 跳ねた内一匹が、勢い余り―ドボン、と元宵の中にダイブした。汁に浮かぶうまそうな白玉団子の中に、黒い黒咻が一匹。
「ショ?」
「ゲッ!」
 小黒は顔を顰め、一方無限は目を丸くしていたけれど怒るでもなく、おもむろにくつりと笑みを零した。
「どうやら、黒咻も食べたいようだ」
 無限は元宵の中から救出してから、匙で掬って黒咻の口元に団子を運んでやる。
「せっかく師匠に買ってきたのに……」
「みなで食べればいい。小黒も」
「まぁ、いいけど……師匠が言うなら」
「ハイーン!」
 小黒が無限に笑みを返すので、黒咻たちもまたよろこびを露わにする。
 まだほのかにあたたかい元宵をみなで分けあうと、これからよい一年が始まるのだという予感が、ことのほかはっきりと感じられる。
 街中を吹く風はやわらかさを帯びて、春はもう、そこまでやって来ていた。