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小黒の大切な人たちの話

 小白シャオバイの友人である小黒シャオヘイは、妖精だ。
 妖精とは、人間には知られていないけれど、実は昔からこの世界に暮らしている不思議な存在のことを言うらしい。確かに何ヶ月か前に小白が出逢ったとき、小黒は猫だった。しかしそれは負傷をしていたからで、傷が癒えてからは人間の姿になったりするし、翼を生やしたりもする。どう考えてもふつうの猫ではない。
 けれど小白にとっては、どんな姿をしていても小黒は小黒だ。大事なのは、小黒が小白にとって大切な友人であるということだった。一〇歳で、小白よりも誕生日が後で、それでいて同年代の人間の子どもに比べたら、ずいぶんと大人びて見える。妖精の子どもは皆そうなのか、それとも小黒が特別そうなのかは分からないけれど、小白と会う時の小黒はいつも変わらなかった。
 だから、こんなにも落ち着かない小黒の姿を見るのは、小白にとってはこの時がはじめてだ。
「……もう、三〇分も過ぎてる」
 街中にある、小規模な遊園地前での待ち合わせ。小白と小黒は約束通り落ちあうことができたけれど、あとひとりの待ち人がなかなか現れない。
「待ちあわせ場所、間違えちゃったのかなぁ?」
 小白はのんびりと答えたけれど、一方の小黒は落ち着きなくスマホを見たり、周囲の雑踏を見回したりしている。けれど、遠目からでもひと目で分かりそうな存在感のあるその人は、いまだ姿が見えない。
 ふたりが待ちくたびれている相手とは、小黒の師匠である無限その人だ。「遊園地」に行ったことがないという小黒を小白が誘い、無限にはふたりの子どもの保護者として、同伴してもらう約束をしていた。その肝心の保護者が、なかなかやって来ないわけだけれど。
「電話してみたら?」
「いや、師匠は数日とか一週間、スマホ見ないのがふつうなんだ……」
「そうなんだ」
 小黒が言って、小白は驚く。小白の友人の山新シャンシンなど、数秒おきにスマホをチェックしているというのに。
 しばらくして、一向に現れない師に、小黒はとうとう痺れを切らしたらしかった。
「僕──やっぱり、ちょっと探してくる。小白、ここで待ってて!」
「あ、うんっ。気をつけてね!」
 小黒は小白を残して人混みのなかに消えていく。そうして間もなく、戻ってきた。かたわらに、ひとりの人間を携えて。
「小白、待たせてごめん」
「おかえり、小黒! 無限さん、こんにちは」
「……こんにちは」
 小白は、小黒のとなりのすらりとした風貌の人を見てぺこりとおじぎをした。相手もまた、よい姿勢で軽く頭を下げる。
「師匠、やっぱり道に迷ってた」
「降りる駅を間違えたんだ」
 小黒が目をやった先で、彼の師であるはずの人は表情を変えずに言う。
「じゃあ、その時電話すればいいのに……」
「すまない。次からはそうする」
「それ、いっつも言ってるよ」
 聞くところによると、無限という人物は小白の爺爺イェイェよりもずっとずっと長い年月を生きているらしい。しかし小黒から窘められている無限は、あまり「数百年を生きてきた」という風ではない。
 小白はこれまでにも何度か、無限とは顔を合わせている。だが、以前会ったときの古風な装束とは違い、今日は場所をわきまえてのことか、現代風の衣装に身を包んでやって来たようだった。
 細身のボトムスに臙脂色のニットをあわせ、その上からは薄手のチェスターコートという、他の人間と何ら変わらない衣装に身を纏っていると、以前感じたような超然とした雰囲気はあまりない。
 だからだろうか、小黒と並んでいると、すこし歳の離れた頼りない兄のようにも見えて、小白はくすりと笑う。小黒もまた怒っているというよりは、彼のことが心配で仕方なかったのだろう。
「行こ、小黒。無限さんも」
「うん……」
「あぁ」
 小白が促すなり、小黒も無限もまた、やおら歩きだす。遊園地の入園ゲートを潜ると、そこは家族連れやカップル、友人同士のグループで溢れていた。これからここで一日、小黒と小白、そして無限の三人で過ごすのだ。
「小黒、なにに乗りたい?」
「えっ……僕よく、分かんない」
「じゃあ、いっしょに考えてあげる!」
 小白は小黒の手を引いて駆け足になり、やがて見えてきたアトラクションを指さしていった。
「小黒小黒っ、あれは? メリーゴーラウンド!」
 目の前に佇むのは、きらびやかな回転木馬だ。人を乗せてくるくると回転する馬たちの群を見て、小黒は目を輝かせる。
「たのしそう!」
「じゃあ乗ろうよ!」
「うん! あっ……師匠は?」
 小黒は背後を振りかえって尋ねたけれど、無限は小黒たちふたりを見て、おだやかに言った。
「私はいい。お前たちふたりで行ってきなさい」
「うん、分かった」
 その答えに小黒は頷いたけれど、無限に見送られてアトラクションの列に並んだ顔つきは、こころなしかしょぼくれている。
「……小黒、無限さんといっしょに乗りたかった?」
 小白がそっと尋ねると、小黒は「えっ!?[#「!?」は縦中横]」と面白いように狼狽える。
「そっ、そんなこと──だって、師匠はこういうの、興味ないと思うし……」
「いっしょに乗れるのもあるかも。次は、もっと探してみようよ」
「う、うん……」
 手を握って言うと、俯いた小黒の黒い耳がぴょこぴょこと跳ねて、
 ──急に、小黒のお姉さんになったみたい。
 と、小白はにっこり笑う。
 やがて小黒と小白の番が回ってきて、メリーゴーラウンドを乗り終えたふたりは、その後もいくつかのアトラクションを回った。
「これなら乗ってくれるかも?」「これは子どもっぽすぎるからナシ」「これは保護者同伴だから絶対イケる」などとふたりで躍起になり、最後には「どうすれば無限をアトラクションに乗せられるか」という攻防が水面下で繰り広げられているようなものだった。
 尤も、当の無限はその攻防にまったく気づいていないようだったけれど。
「もう昼すぎだな。腹が減っていないか?」
「減った……」
「おなかぺこぺこ」
 時計の短針が「1」の字を回り、はしゃぎすぎて必要以上にへとへとになっている子どもたちを見やって、無限が言った。
「なら昼にしよう。そこでいいか?」
 そう言った無限に誘われて、小黒と小白は遊園地の中に入っているファストフード店へと足を踏み入れる。昼時をすこし外れた店内は、適度に賑わっていながらもぽつりぽつりと空席が目立つ。
「僕、注文してくるよ。師匠なにがいい?」
「ありがとう。私は、お前と同じのでいい」
「ええっ?」
「見ても、私にはよく分からない」
 無限の答えに小黒はわざとらしく顔をしかめて見せたけれど、最終的にはどこか照れくさげに、「しょうがないなぁ」と頬を掻いている。
「小白は? いっしょに買ってくるよ」
「う~ん……じゃあ、私も小黒と同じの!」
「それでいいの?」
「うん、小黒が選んだのがいい!」
 小黒は訝しげにするけれど、小白が言うと「分かったよ」と苦笑してレジに向かった。
 小黒が注文を済ませる間、小白はひと足先に空いているテーブルを見つけ、無限とともに席に着く。遠目から小黒のようすを伺い、次いで無限へと目を移す。
 ──ふたりになるの、はじめてだなぁ。
 小白は向かいの席の人物をぼうっと見つめ、うっかりそのまま見入ってしまう。
 ──妖精じゃなくて、人間だっていうけど……。
 窓辺の席に腰かけた無限の肩には、壁一面の窓から差す明るい陽光がかかって、背に流れる長い髪がきらきらと輝いて見える。膝裏まで届くかという黒々とした髪は、現代風の装束に会わせるには、ともすれば異様にも思える。けれど無限の装いとしては、不思議と調和がとれていた。
 熱心に見つめすぎていたのか、やがて無限がふと、小白を見かえして口を開く。
「どうかしたか?」
「……えへへ、すごくきれいだったから、つい」
 言ってから、小白は「あっ」と口を押さえた。あまり親しくもない相手にいきなり「きれい」だなんて、嫌だろうかと思ったのだ。けれど無限は怒るでもなく、やわらかく笑みを浮かべる。
「小黒に、君のような友人ができてよかった」
 無限が言うので、小白は首を傾げる。
「小黒には、妖精の友だちはいないの?」
「いるが、人間の友だちも大事だ。これからも仲よくしてくれるとうれしい」
「はい!」
 小白が元気よく答えると、無限は目を細める。小白はやさしげなその表情ににこりと笑いかえす。
「私も、無限さんと知り合えてよかった。小黒が『世界でいちばんの人』って言うなんて、どんな人だろうって思ってたから」
 それは、小白がはじめて人型の小黒を見た時のことだ。小黒の口から無限のことを教えてもらったのも、その時だった。小白が語ったことばに、無限はきょとんとした顔をする。
「……そんなことを」
「うん。あっ……もしかしてヒミツだったかな?」
 小白は一瞬、いけないことを話してしまったかと思ったけれど、無限がこころなしかうれしそうにするので、思わず口が軽くなってしまう。
「無限さんあのね、これもヒミツなんだけど……」
「なんだ?」
 小白が耳打ちをするように小声になると、無限がテーブルごしにすこし身を寄せてくれる。
「最初、遊園地に来たがってたのは、小黒なの」
「……小黒が?」
 目を瞬く無限に、小白は「うん」と頷く。
 先日、小黒が小白の家にやって来ていた時のことだ。テレビのコマーシャルで流れる遊園地の宣伝に、小黒が釘付けになっていた。声をかけようか迷っている内、小黒の方から近くにいた小白に尋ねてきた。
 ──小白、人間の子どもは、家族とああいう所に行くの?
 ──うん、私もパパとママと行ったよ。小黒は行ったことないの?
 ──……ない。
 ぽつりと答えた小黒は、まだなにか言いたげだったけれど、それきり口を噤んでしまった。だから小黒の代わりに、小白が言ってあげたのだ。
 ──でも、ずいぶん行ってないから、久しぶりに行きたいな。
 呟くと、小黒がすこし躊躇ためらいがちに「いっしょに行こうか?」と乗ってくれて、ふたりで遊園地へ赴くこととなり、その後間もなく、無限が同伴することが決まった。
 そう説明する小白の話を、無限は窓の外に視線を投げたまま、黙って聞いていた。すこし青みがかった双眸の先には、片手に風船を、もう片手に親の手をしっかりと握った子どもが、うれしそうに歩いて行く姿が見える。
 すこしばかり沈思する間を置いてから、小白に向きなおって言う。
「ありがとう、小黒を誘ってくれて。今まであまり、子どもらしいことはさせてやれなかった」
「ううん。無限さんが来てよかった。無限さんといっしょじゃなきゃ、意味がないもん」
「……そうか」
 小白が答えると、無限はすこし意外そうに呟く。小白には想像もつかないほど長い年月を生きてきた人は、意外にも些細なことでこころを動かし、ころころと表情を変えて見せてくれる。
 まるで万華鏡を覗きこむ時のように鮮やかな感情の移り変わりを見ていると、小白の胸のなかはほわほわした気分になるから不思議だ。小白にとって大切な小黒が、とてもとても大切にしている人がいる。その人が、小白にとっても大切でないわけがないのだ。
 その時、自然と顔を寄せて話していたふたりの間に、割って入るようにして声が聞こえる。
「何の話してるんだよ?」
 横を見ると、どこか拗ねたような顔をした小黒が、トレイに三人分のハンバーガーを乗せて突っ立っている。小白はトレイを受け取り、テーブルに置きながら言った。
「小黒の話してたんだよ」
「はっ!?[#「!?」は縦中横]」
 途端、毛を逆立たせて驚く小黒を見て、自然と小白と無限の目が合う。ふたりで目線だけの会話をすると、ひそかに笑みが零れた。