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神本に感銘を受けて書いたやつ

 ひさしぶりに揺られた夢の波間で見たのは、幼い日の記憶だった。父の屋敷で過ごした記憶。毎朝出された食事。母の生まれた国で飲まれていたという、適度に|香辛料《スパイス》が効いたチャイ。屋敷のなかでの慣習が、魔族社会の一般的なそれとは必ずしも一致しないということは、ずいぶん後になってから知った。
 いわゆる〝純潔で正当な〟魔族の暮らしというものを、影山はきちんと知らない。何しろ影山は十五にして既に屋敷を離れ、放浪の身となっていた。その後は、ずっと根無し草として生きてきた。もっとも、元より魔族社会は影山の存在を受け入れてなどくれなかったのだけれど。
 影山の母は、東方の国からやって来た人間だった。未だに血統主義が根強い魔族の社会では、人間を正妻として娶ることは難しく、前妻は既にこの世を去っているにも関わらず、母が屋敷の主人として認められることはなかった。それでも父が後妻を迎えなかったことは、精一杯の矜恃の現れだったのかもしれない。
 人間と魔族とは相容れない、というのが、長年信じられてきた世界のことわりだ。両者の距離が徐々に接近するようになったのは、ついここ数年のことだった。影山の父が母を屋敷に迎え入れた当時は、今よりもさらに人間と魔族の溝は深かったという。母との関係を持ちながら、一方で国政に携わる父には「立場」というものもあったのだろう。影山も子どもの時分に、〝魔王〟の城を訪れ、魔族界の重鎮が列席する場に同席したこともある。ただし、母に用意されていたのは父のかたわらではなく、謁見の間の片隅に設けられた文字どおり「末席」だった。
 純血主義が特に色濃い母国では、父のような存在は異端だった。父自身、母に後ろめたい思いをさせまいとずいぶんと心を砕いていたのだと、今なら分かる。けれど影山の脳裏に焼き付いているのは、自室の窓辺で静かに涙を流す母の姿。〝人間の子〟と後ろ指を指された記憶だった。父は純潔の魔族だったが、母との間に生まれた影山には半分しか魔族の血が流れていない。混血児に過ぎない影山に対する周囲の風当たりは、当然のように厳しかった。
 一般的にどの国でも、〝魔族〟と認められるのは「四分の三」以上魔族の血が流れている者に限られる。いかに若くして武術にたけていようと、いかに魔術を操る才があろうと、血が足りなければ「所詮、混血児」「欠落した者」と見なされた。たとえ〝魔族〟としての純度が高く、魔力量が膨大であろうと、それを発揮するための技術を備えていなければ宝の持ち腐れにすぎないというのに。
 母が早世しても、父は影山にあたたかな寝床と教育の機会を与え続けた。しかし、母を失った影山にとって、父の屋敷はもはや「他人の家」に過ぎなくなっていた。父が屋敷を空けている間、使用人たちから向けられる悪態は露骨になる。自然と足は屋敷から遠のき、野山に出て魔物を狩る時間が増えた。屋敷の人間は眉をひそめ、影山のことを〝粗野な混血児〟と呼んで憚らなくなった。
 母を泣かせた父。父の立場をも危ういものにしている自分の存在。悲しみの源がどこにあるかは、明白だった。
 十五の時、屋敷を出た。それから、一度も屋敷には帰っていない。幼い頃、よく母に握ってもらった右手は、殺戮の道具を握るためのものとなった。


 右手を、あたたかな何かに握られていた気がした。
 目を開けると、広い天蓋が見えた。一瞬、かつて住んでいた屋敷の光景が脳裏を過ぎったが、すぐに違うと分かる。絹の寝具から半身を起こし、丸めていたせいで硬くなった体を伸ばす。窓から指す光で、もう陽が高くなってきているのが分かる。
 見渡すと、広々とした部屋の中はこざっぱりと片づけられているものの、所々に本が積み重ねられていたり、魔術道具が無造作に置かれていたりして、きちんとひとが生活しているのだということを感じさせる。部屋の主──影山ではない──は、部屋の片づけは使用人には任せないのだと言った。自分の|縄張り《テリトリー》に他人の手が入るのがゆるせないからと。それを聞いた時、難儀な性格だな、とは思ったものの、なぜか安心したのを覚えている。
 その頃からだろうか。勝手気ままに他人の自室に入ったり、遠征から帰ってきた影山が、仮の寝床を求めてここを訪れるようになったのは。
 寝台から出ようとすると、右手に何かが握らされていることに気づいた。麻紐をぐるぐると手のひらに巻いて、その先端にはツチボタルのように青く輝く宝石が括り付けられている。影山が手から離すと、宝石の内部に灯っていたほのかな光が消えた。右手がかすかに熱を持っていたのはこれか、と思う。
 開発者によれば、影山の体内を流れる魔力に反応し、魔力神経を活発化させる作用があるのだという。魔族の血が流れる影山は、自己治癒能力で大抵の傷であれば自分で治してしまえる。だから、城の魔術師の治癒魔術に頼ることはほとんどない。他人の手で世話をされるというのが、まず好きではなかった。
 けれど、いくら〝半魔族〟とはいえ、自然治癒に任せれば治りが遅くなることも、ままある。そんな影山を見かねてか、この部屋にやって来て寝入ったある時、目覚めるとこれが握らされていた。最初は「こんなもん要るか」と投げて返した影山だが、それ以降も懲りずに同じことをする男に、やがて影山の方が折れてなにも言わなくなった。たしかに、この宝石があると全身の魔力のめぐりが円滑になり、比例して治癒能力も活発化するのが分かる。正直、ありがたかった。
 それにしてもなんで手なのか、と尋ねると、彼は「いちばん魔術神経が発達しているからだ」と答えた。魔術神経は、頻繁に使用すればするほど発達していく。逆に、使わなければやせ細っていき、魔力の放出に支障をきたす。弓兵である影山の場合、最も魔術神経が発達しているのは指先だという。指摘されるまで、そんなこと頭で考えもしなかった影山は、少なからず驚いた。
 そも、影山が「半魔族」であることを打ち明けた時、しれっと「だから何?」と流して、影山を驚かせたのも彼だった。戦地に赴いたこともない彼に「〝温室育ち〟でもちゃんと分かんだな」と褒めるつもりで言うと、みごとに怒りを買ってしまったけれど。
 あたたかな寝具を離れて、隣室へと赴く。扉一枚で隔てられたふたつの部屋は、両方ともが王室付き魔術師である彼の自室であるという。隣室のゴチャゴチャとした机に埋もれるように、彼はちいさな細工物と真剣な顔をして向き合っていた。彼──月島蛍は、仕事に忙殺されて城の中を駆けずり回っているか、さもなければこうして研究室兼自室に籠っていることが多い。影山にしてみれば、体に苔が生えないのが不思議になるような暮らしぶりだ。
 声をかけるのも躊躇われて、手持ち無沙汰に部屋の中で物色していると、月島は声を出した。目線は手元に落としたまま。
「暇で困ってるなら、本、取ってくれない? 棚の上から三段目、一番左」
「お、おう」
 自然に声をかけられて、断る理由もないのでことば通りに動く。凶器として使えそうなほど分厚い魔術書を取って、彼に渡した。
「どうも」
 影山に一瞥もくれないまま、彼はほとんど一発で目当ての頁を開き、ざっと目を通すと再び細工物に手を加え始める。
「寝てねえのか?」
「いや、寝ましたけど。寝ずに働きつづけられるほどタフじゃない」
「そうか」
 どこで、と尋ねようとして、なんとなく躊躇われてしまった。考えるまでもなく、影山と同じ寝台だろう。この男が床で寝られるような性分でないことは分かっている。分かってやって来ているのは影山の方だ。兵士用の宿舎では体と気が休まらず、かといって「勇者御一行」のために城の中に充てがわれた部屋ではやはり落ちつかなかった。影山にとって、城内の煌びやかな内装はよそよそしさを感じさせるものでしかない。
 反面、月島の自室は不思議と気が安らぐ。市井の家に比べれば十分広いとはいえ、あまり気取った風がない。月島自身が話す通り、「庶民」であるという彼の出自のせいなのか。
 どことなく気まずく、けれどなぜかこの沈黙が心地よくて、月島の手元を眺める。宝石のついた質素な耳飾りにも見えるそれは、十中八九魔術道具だろう。自力では魔力を満足に操れない者のための、道具自体が魔力を備えている代物だ。
 作業を眺めながら「今度は何の道具だ」と問うと、耳の聞こえをよくする道具だと月島は言った。魔力をもたない人間であっても、三里先の敵の足音を察知できる。確かに開発が成功すれば、自軍にとって大幅に有利な状況を作りだせるだろう。しかし同時に、月島にはもうひとつの思惑があることも、近ごろの影山は理解しつつあった。
 まずは国庫の財で兵器として作り、余った資材でそれに若干手を加えた簡易版を市井に配る。軍用に比べれば精度が落ちるが、日常で使うなら支障がない程度のものだ。先天的、あるいは後天的に聴力の弱った者にとっては、ありがたい助けとなるだろう。
 〝文明の利器〟とは、よくも悪くも常に戦争から生まれるものだ──というのが、月島の持論のようだった。はじめはひと殺しの道具であっても、のちにはひとが生きる助けとなる。それは、殺すしか能がない自分の右手よりもずいぶんやさしい道具であるように影山には思えた。
「よく飽きねえな」
「まぁね。仕事ですし」
 そうは言うが、好きでなければできない仕事だ、と影山は思う。
 黙々と作業を続ける月島に先に飽きてしまったのは影山の方で、机周りに置かれている魔術道具に気が逸れる。吊り下げ式の燭台のような格好をしたそれは、はじめて見た時からこの机の上に鎮座していた。バチバチと微弱な火花のようなものを放ちながら、手のひら大の硝子玉の中で燃え続けている。それが何の道具なのか影山は知らないし、月島に問うたこともない。もともと、他人にも他人の持ちものにも関心を抱かない性分だ。生家を後にしてこのかた、他人の事情には深入りしない生き方を選んできた。
 けれど、明るい金色に跳ねまわるそれは何ともうつくしく見えて、ふと手を伸べる。すると、硝子玉の中の火から放たれた光がバチッ!と指先に伸びて、衝撃が走った。
「ちょっと!」
 途端、血相を変えて影山の腕を掴んだのは月島だ。驚いたのは、弾けた火花よりも月島の形相にだったかもしれない。
「まさか忘れたとは言わせないけど、魔術道具には触るなって言ったよね? 魔力に乏しい者が使うためのもので、君みたいな存在が触れると何が起こるか分からないんだって!」
「わ、わるい」
 月島があまりに真剣な表情で言うので、反射的に謝ってしまった。確かに、この部屋を訪れるようになって間もなく言われた。魔力の潤沢な者用にはチューニングしていないため、うかつに触れると危険なのだと。その忠告を忘れていたのではなく、今のは何というか、ものの弾みだ。
 月島は影山の手をそろりと離すと、はぁ、と大仰にため息をついて椅子に背をもたせた。この部屋に入ってから、はじめてマトモに月島が影山を見る。呆れと疲れの両方が浮かんだ顔で、
「で、……食欲は?」
「ある」
 正直に答えると、月島は「それは結構」と微笑する。なんだか、むず痒いような気分だ。月島がそうして砕けた表情を見せている、ということもあったが、何だか自分が恥ずかしいことをしてしまったような気がした。あたかも、子どもが大人の気を引きたくてするいたずらのような。違う、そうじゃないと弁明したくても、ひとりでムキになっているのもシャクだった。
「じゃあ、食事にしよう。僕も朝ご飯まだだし」
 言って立ち上がると、月島は呼び鈴を鳴らす。すぐさま使用人がやって来て、湯気の立つ朝食が運ばれて来た。食卓に並べられたのは、鳥肉の香草煮込み、からす豆のスープ、パン、そして香辛料を効かせたチャイだった。
 影山が以前話した「母国のお茶」の話を、月島は憶えていたらしい。いつからか、こうして食卓に並ぶようになった。煮出しかたや香辛料の配分など、どこから調べて来たのかは知らない。けれど、ひと口飲んで分かった。それは、影山がもう二度と飲むことのないと思っていた味だった。
 香草で煮込まれた鳥肉はホロホロに煮込まれていて、匙でほぐせば骨からすぐに外れる。狩猟生活も慣れたものである影山にとっては、あまりに手応えも噛みごたえもないと言える。けれど、魔力も体力も消耗している今の影山にはありがたいのも事実だ。見るからに疲れている月島にとっても、口当たりがやわらかい食事がちょうどいいのかもしれない。
「……んな魔術道具を量産しなきゃなんねえほど、戦力は足りてねえのか?」
 尋ねると、チャイを口に含みつつ月島は答える。
「まぁ、それもあるけど……。僕は将来的に、「人間」と「魔族」の能力差をできるだけ減らしたいと思って魔術道具を作ってる」
 はじめ、なにを言われているのかが分からず、影山はポカンとしてしまった。月島は、まるで今日の空のようすを話すかのように、淡々と説いた。
「この国の兵卒の中に、多くの混血が投入されていることは知ってるよね?」
「ああ……」
 それならば、影山も心得ていた。
 放浪の旅の途中、人間の国に立ち寄ることで影山が知ったことは、魔族の国で「混血」の誹りを受けた者は、人間の国でもやはり同様の扱いを受けるということだった。魔族に対して排斥的な空気の強い人間の土地では、一滴でも魔族の血が入っていれば〝魔族〟と呼ばれる。生まれた国では〝魔族〟と呼ぶには値しないと言われた自分が、皮肉なことに人間の国では〝魔族だから〟と言われるのだ。
 見える世界が広がって分かったことは、半端者は、どこに行っても所詮半端者ということだった。
 その傾向はここ烏野の地でも変わらず、混血の者は市井の片隅で、息をひそめるように生きていた。特に国の上層部や要職などに就く混血の者は、どうやら限りなく少ない。ちょうど、魔族の国では人間が国政に関わることができないのと同じように。
 しかしそれが、軍の内部を見てみるとどうだろう。「勇者一行」のひとりとして国軍の兵士とじかに接するようになると、兵団の内部が混血の者だらけであることはすぐに分かった。
「混血が占める割合は、末端の兵団になればなるほど高まる。有り体にいえば、|政《まつりごと》からは遠ざけたい。けど、捨て駒にするにはちょうどいい人材ってことだね」
 そのことばを聞いて、胸の中を過ぎ去って行ったのは空虚さだった。自分の生まれを嘆く気もちは、長く荒野の風に晒される中で朽ち果ててしまったのかもしれない。だから薄情にも、同じ境遇の者に対する同情の念というものも、さして湧いてはこなかった。
 けれど月島は、しっかりとした口調で続ける。
「上の言い分は、彼ら〝持てる者〟はその強大な魔力ゆえに、意思決定に関わる立場に収まるよりも、前線での活躍に向いている……というものだ。けれどもし、僕ら人間もちょっとした工夫で、魔族に劣らない能力を持てたとしたら? 僕らはその時、〝持たざる者〟ではなくなる。同じことをするのに道具を使うか、魔術を使うかの差しかなくなるんだよ」
 たとえばこの眼鏡みたいにね、と冗談めかして、月島は眼鏡のブリッヂを押し上げた。月島は勉強のしすぎなのか、ずいぶんと目が悪いと聞く。その眼鏡があるおかげで、彼はハンディを負わずに済んでいるというわけだ。同じものを見るのに自分の目で見るか、眼鏡をかけて見るか。そんな単純な話ではないように思えるが、月島のことばを聞いていると、にわかに考えが揺らぐ。
 どうしてこの男は、もうすでに決まりきったことを、今さら覆そうだなどと思うのか。
「僕は、ゆくゆくはこの国の将来のため、〝魔族〟と〝人間〟との垣根を取り払うべきだと思ってる」
 ダメ押しのように月島は言った。理屈としては、分からないでもない。けれど途方もない話で、すぐには咀嚼できそうになかった。そんなことできるものか、と冷静な自分が即座に否定するくせに、じんわりと感じる胸の熱の正体は、一体なんなのだろう。
 出てくるのは、嫌味ともつかないただの程度の低い悪口だけだ。
「テメェは……頭がいいのか、バカなのか分かんねぇ」
「喧嘩売るのやめてほしいんですけど」
「〝魔族〟と〝人間〟との垣根を取り払う……とか、ほんとにできると思ってんのか」
「正直僕も、両者の融和とかって理念には懐疑的だったよ」
 からす豆のスープを口に運びながら、月島は言う。
「でも君と会って、考えが変わった。君とはじめて話した時に腹が立ったのは、君が〝魔族〟だからじゃない。君だからだ」
 影山は、月島をまっすぐに見つめる。一瞬いつもの減らず口かと思ったが、月島はいたって真面目な顔をしていた。ことばを返しあぐねていると、月島は匙を置き、背筋をただす。
「実は、君を含めたパーティを国軍に加わらせてはどうか、って話が出てる」
「は?」
 寝耳に水のことばを聞いて、思わず素っ頓狂な声が出る。
「まだ案として浮上した程度で、実現するかどうかは分からない。けど、僕は……悪くないと思ってる。君が、この国に定住することも」
 定住。今まで考えてみもなかったことを、唐突に目の前に突きつけられて混乱する。どこかひとつ所に留まることなど考えてもみなかったし、流浪の民として生きることこそ、自分の性分なのだと思ってきた。それが、自分に似合いなのだと。
 けれど──ならばなぜ、自分は今、やわらかな寝床とあたたかい食事にありついているのか。他人の匂いのする、この部屋で。
 唐突に腹の底が冷えて、いてもたってもいられなくなる。
「……影山?」
 思わず席を立って、踵を返す。
「ちょっと!?[#「!?」は縦中横]」
「悪い……次の遠征までに、準備しねえと」
 前回の遠征での反省点が、いくつもある。日向との連携も、より実戦に即した形に修正する必要がある。そしてなにより、今すぐ城の外の風に当たりたくてしかたがなかった。