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リトル・ラヴ・モンスター

 恋愛っていうものがなんなのか、日向はよく知らない。
 友人は今までもそれなりにいたし、女子の友達だって何人もいる。けど中学の時はずっとずっとバレーボールのことだけ考えていて、仲間との会話で話題にした記憶はあまりない。
 いつだったか、そのことを月島と山口に話したら思いっきりバカにされた。
「キミって、本当にバレーのことしか頭にないわけ?」
 絶滅危惧動物でも見るような目で言われて、なんかわりーかよって思った。
 だっていちばん大事なバレーが満足にできなくて、それでも大きな舞台に立ちたくて必死で、他のことに割く時間なんてなかった。
「そう言うお前らはしたことあんのかよ、レンアイ」
 せめてやり返したくてそう訊くと、月島ではなく山口が答えた。
「ツッキーは中学の時、クラスでいちばん多くチョコレートもらったことあるんだぜ!」
「うるさい山口」
 山口がさして悪びれてもいない顔でごめんツッキー! と謝って、日向はそういえば、とその場にいないやつのことを考えた。
 日向すらたまに「こいつほどじゃないかも」って思うバレー馬鹿は、そっち方面どうなんだろうって。
「まあ日向より、多分ヤバいのはあの王様じゃない? まず恋愛って漢字書けるのかどうかも疑問だし」
 その場にいる全員の頭に同じ顔が浮かんだらしく、月島がそう呟いた。確かに影山は、部員たちがなんとなくそういった向きの話で盛り上がっていても口を挟んだためしがなかった。
「なあ影山、レンアイとかしたことあるの、お前?」
 だから日向は、責任をもって訊いたのだ。帰り道で影山に。影山はしゃがみこんだまま手元に視線を落とし、おー、と生返事をした。
 気づいたら他の部員たちからはすっかり置いてきぼりを食らっていて、暮れなずんだ通学路には日向と影山、二人だけだ。
「……なぁ!」
「テメェ日向、他人に自分の自転車直させといてずいぶん暇そうじゃねえか」
「うっ……す、スミマセン」
 影山にグサリとやられておし黙る。日向は今しがたのことを思いだした。
 そうだった。チャリンコのチェーンが外れて、直せずに四苦八苦してたら苛ついた影山が自分がやると言いだしたんだった──。
「で? なんだって」
 影山は地べたに膝をついた状態で日向を見あげた。普段は凶悪な目つきが、そうして上向きになっているだけでずいぶんマシに思える。
 ──あ、コレ、ちょっとイイかも。
 不自然に胸が高鳴って、思わず影山の真っ黒な瞳ふたつに吸いこまれそうになった。
「おい」
「えっ? あ、だ、だからさ! 影山さんは、ごレンアイとかしたことあるのかなー……って」
 早口に質問すると、嫌な顔をするかと思われた影山は真顔で答えた。
「恋、してるかもしんねー」
「は!?[#「!?」は縦中横]」
 衝撃のあまり、思わず大きな声を出してしまった。
 ──恋してる? えっ、今? 現在進行形?
「そ、そそそそっそれって──!?[#「!?」は縦中横]」
「ずっと恋してる。バレーに」
 影山が大真面目に言った瞬間、日向の体からはどっと力が抜けた。
「おっ、お前……脅かすなよ!」
「あ? どこも脅かしてねーよ……おい、直った」
 言って影山が立ちあがる。見ると、外れてしまっていた自転車のチェーンはきちんと元に戻っていた。
「まじ!?[#「!?」は縦中横] よくやった影山!」
「なんで偉そうなんだよ」
 チッ、と舌打ちする影山を尻目に自転車に乗っかって、一漕ぎすると問題なく走った。日向はくるっと振り返って影山を手招きする。
「うしろ乗れよ、影山!」
 影山は自転車に跨がった日向に歩みより、上から下まで眺めた。
「俺乗ったら、多分地面つくぞ、足」
「っるせーな! 直してもらったお礼に送ってやるって言ってんだよ!」
「だからなんで、偉そうなんだよ」
 ブツクサ言いながら影山は日向の後ろに乗り込んだ。日向はよし、と気合いを入れる。けれど漕ぎだした自転車は、自分がもう一・五人分増したような重さだ。
「……お前が音上げたら代わってやるから、安心しろよ」
「クソッ、ぜったい代わんねー!」
 息巻くと、フッと笑った気配を首の後ろに感じた。
「がんばれよ、「小さな巨人」見習い」
 影山の腕が腹に回ってきて、意味もなく叫びだしそうになった。速度を上げる。ペダルを回すごとに息が上がる。
 さっきまでの空想の続きが頭をよぎる。
「影山……はァ、はっ……お前さ!」
 いつからバレーをしているのかと聞いたとき、影山は小二からだと言った。影山は、日向よりも四年早くバレーを始めた。日向が「小さな巨人」に魅せられたよりも四年早く。
 ──そんな、バレーボールしかない、みたいな人生。
 ──もしバレーがなくなったら、どうすんの?
 恋愛したことがないと言ったら、月島が呆れて訊いてきた。正直言うと驚いた。そんなこと、考えたこともなかったから。
「もしッ! バレーできなくなったら、どうする!![#「!!」は縦中横]」
 ペダルを回しながら問う。月島から訊かれた時の日向はすこし考えたけれど分からなくて、しかし影山はいくらも考えずに、あっさりと答える。
 夕暮れの風を切る音の中で。
「死ぬ」
 ドキッとした。十字路に差しかかり、そこ右な、と後ろから指示されたけれど、影山自身のことばで頭がいっぱいで反応が遅れる。
「えっ……」
「前見ろ、バカ」
 思わず振り返ろうとして止められる。一回りちいさな日向の背中に向かって影山は続けた。
「死んで、もう一回生まれて、もう一回バレーやる」
「あ……」
 自転車を漕ぎながらでも影山の声がはっきりと聞こえる。日向は、さっきとは違う意味で胸が震えるのを感じた。
 ──安堵だろうか? それとも誇らしさ? 共感?
 どれだか分からないけどとにかく、熱いものがこみ上げてくる。思わずペダルを踏みこむ足に力を籠めて、声を上げていた。
「俺もっ……俺も、生まれ変わってもまたバレーしたい! お前と!」
 日向が答えた時、「影山」の表札が目に飛び込んできた。慌てて停まり、振り返る。背後の影山は怒ったような、戸惑ったような顔をしていた。
 知ってる。それは、照れた時の顔だ。
「俺と、って部分必要かよ」
 拗ねたように言う影山に、当然! って言って笑ったら軽く頭を叩かれた。
「イデッ! 何すんだ!」
「悪ぃな」
 影山は自転車の荷台から降りて、日向に向き合う。そうして初めて向きあった時はネットの向こう側だった。
「嘘じゃねえんだろうな」
「うん」
 二本の足で地面に立った影山はチャリに乗った日向よりもすこし背が高くて、それでもいつもより目線が近い。普段見る景色と違う。
 ──あ、やっぱコレだ。
 胸がドキドキ言う。下から見上げられた時と同じだった。まるで、ずっと追いかけてきた相手に手が届いたみたいだ。
「影山」
「んだよ?」
 抗いがたい衝動がやにわに襲ってくる。影山の黒いジャージから覗いた胸ぐらを掴む。衣服ごしの、湿っぽい熱。 
 触りたい、もっと──と腹の底が疼いた。
 ぐいっと引き寄せて、自分も顔をつき出す。互いに互いを重ねる。影山の丸くなった双眸が黒く澄んできれいだって思う。影山のソコはやわらかくて、熱っぽい日向のソレよりいくぶん冷んやりとしていた。
「約束だ」
 至近距離で告げて顔を離すと影山が呆然としていて、それで、ゆっくりと正気になる。
 ──あれ、俺、今なにしたんだっけ。
 くっつけたんだ、唇を。自分と、影山の──。
「え……と、約束のシルシ、みたいな?」
 言った傍から、いや、約束するのにキスしたりしないだろ、って自分でツッコミむ。
 みるみる影山の顔が赤くなり、ワナワナと震える。何をされたのか確かめるように指の背でくちびるに触れてから、一気に顔が火照りだした。
「あっ、じゃ、じゃあ、俺、これで!」
「は──な、おいッ⁉︎」
「じゃ、また明日!」
 呼び止める影山の声も無視して走りだす。とてもじゃないけど顔を合わせていられなくなって、一目散に影山の家の前を後にした。
 知らなかった。ぜんぜん、知らなかった。自分の中にこんな欲求が眠っていたなんて。
 暴れだした恋の獣は凶暴で、もう、止まりそうもない。