飛雄と一与さんのおわかれの話
1
その日は梅雨が明けた直後のからりとした晴れの日で、あぶら蝉がさかんに鳴いていた。抜けるような青空が広がって、そのただなかにソフトクリームのように、入道雲が高く積み上がっていたことを憶えている。
祖父の葬儀は、しめやかなものだった。限られた身内と知人で行われたもので、時おり、祖父が指導をしていたバレーボールサークルの生徒だという人が、影山に気づいて声をかけてきた。影山は親族として、ずっと棺の前に座り、焼香を上げにくる人たちを迎えた。
「お暑い中、ご足労をおかけしまして……」ということばを、よく意味も分からないままに繰りかえした。影山が祖父の死を知らされてから、数日後のことだった。
──飛雄、もう帰ってこられるかい? お義父さんが、ちょっとね……。
数日前、部活の自主練を終えて帰り支度をしている途中、携帯に着信が入っていることに気づき、かけ直すと父がそう言った。ほかの部員は全員とっくに切り上げ、体育館に残っていたのは影山ひとりだった。
その頃、既に影山とほかの部員たちとの溝はすでに深くなっていて、影山に付きあって遅くまで居残る部員は誰ひとりいなかった。
──一与さん、退院したのかな?
誰もいない体育館で父と携帯ごしに会話したとき、影山が思い浮かべたのはいい知らせのほうだった。特に、根拠などなかった。単純に祖父に会いたい願望が優ったのかもしれない。
影山の両親は、子どもと触れあう時間を多く割けないことが多かったけれど愛情深く、ただバレーボールのこととなるとてんで分からなかった。影山にバレーボールを教えたのは祖父、影山のバレーボールをいつも見守ってくれたのも祖父だった。
祖父に話したいことは山ほどあった。近ごろ、サーブがめっきり上達したこと。けれど、ディグやブロックの練習は思うようにできていないこと。ひとりだけでは、練習できるメニューにかぎりがあること。
家に戻り、母が運転する車で向かった病院で、祖父は文字通り帰らぬ人となっていた。病室には父と、部屋の隅で美羽が膝を抱えて泣いていた。
──一与さん?
話しかけても、眠ったように穏やかな顔で目を閉じた祖父は答えてくれなかった。最後にことばを交わしたのは、一ヶ月ほど前のことだったと思う。
──一与さん、どうしたの?
──おじいちゃんは……ちょっと遠くまで行ったんだよ。
そう言われて、いつ戻ってくるのか尋ねたけれど、父はそれきり黙りこんでしまった。
それからめまぐるしく葬儀の支度が始まって、目の前で起こっている事態をこころが受け入れる時間もないまま、気がつけば線香の香りと喪服を身に纏っていた。
「一与さん、俺の試合見に来るのたのしみだって言ってたんだ」
「え?」
呟くように言うと、隣に座っていた美羽がすこし赤い目で影山を見かえした。葬儀の前にまた泣いたのかもしれない。反対に、影山は祖父が亡くなって以来、一度も涙を流していなかった。
──他人の心が分からない、と以前チームメイトに言われたことがある。
──お前は天才だから、と。
その通りなのかもしれない。けれど、どうすればいいのか分からなかった。
目指すべきレベルに到達するために、やるべきことは分かっているのに、それを妥協して周囲に合わせることがいいのか。ずっと昔、試合がすぐに終わってしまうのが怖くて、サーブの手を抜いたときのように。
今回は、相手に取らせるべきなのか。それともやはり、手を抜くべきではないのか。どちらを選ぶのが正解か尋ねたくても、教えてくれる人はもういない。
「一与さん……嘘ついたことなかった」
「そうだね。でも、もう見に行けないよ。一与くんはもういないんだから」
美羽に言われて、影山は棺の上に置かれた祖父の遺影を見つめた。明るく笑う祖父は、今にも棺の中から起きあがって影山と話をしてくれそうで、けれど祖父の声はおろか、その後誰に話しかけられても影山はろくすっぽ話を聞くことができなかった。
その日、開け放しの窓から聞こえていた蝉しぐれの残響だけがこびりついて、いつまでも影山の耳の奥で鳴り響き続けた。いつまでも降り止まない、通り雨のように。