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同居人がふえました

 年も暮れようとしている12[#「12」は縦中横]月末、今年一番のサプライズが訪れた。
 あまりに驚いたものだから、帰宅してリビングの扉を開けた月島の顔を見るなり声を上げてしまったほどだ。
 月島の口から朝がた聞いたから、今日が自分の誕生日だってことはかろうじて覚えていた。
「プレゼントか!?[#「!?」は縦中横] それ!」
「そんなワケ、ないでしょ」
 玄関からリビングに入ってきた月島とその腕の中の毛玉を見て、影山は度肝を抜かれた。駅からの道のりで小雨が降り出したらしい。月島の明るい色の髪はしんなりと濡れている。 
 その腕のなかで、おなじように水滴をまといながらふるふると震える黒い毛玉が見えた。生き物であることはすぐに分かって、猫か犬かと聞くと、月島は仔犬だと答えた。
 どうも、相当はしゃいだ顔をしていたらしい。先手を打つように、月島が言い放った。
「喜んでるとこ悪いけど、捨てられてたの、拾っただけだから。引き取り手探して、里親に出す」
「えっ、飼わねえのか……?」
 残念な気もちを隠さずに、影山は言った。
「飼わないよ。ねえ、タオル取ってきてくれない?」
「……お、おう」
 影山は肩を落として、言われた通りタオルを持って戻る。
 フローリングに敷いたバスタオルの上にちいさな毛玉を降ろすと、震えたままその場にうずくまった。
 影山の掌ふたつ分ほどの大きさで、うっかりすると握りつぶしてしまいそうだ。月島がタオルで体を包んで拭きはじめると、そいつはくぅん、とちいさく声を上げた。
「なっ、鳴いた……!」
「そりゃ、鳴くでしょ。生きてるんだから」
 月島が呆れたように言う。その仔犬は、ふたりが暮らすマンション脇の路地に捨てられていたのだという。
 雨に濡れた空き箱を何の気なしに覗きこむと犬がいて、月島のことを怖がるでもなく一心に見つめてくるものだから、仏心が湧いたというわけだ。
「せっかく拾ってきたのに、飼わないのかよ」
「カワイイと思って拾ったわけじゃないから。このままだと死ぬかもしれないと思って、連れてきただけ」
「んなこと言って、ほだされただけじゃねえの……」
 ぽつりと呟くと仔犬を拭く月島が手を止めて、不満げな顔を向けてくる。
「……君といっしょにしないで」
 体の水分を拭かれ終わった仔犬はぶるぶると体を震わせて水気を払う。影山は犬に詳しくないが、見た感じ、血統書付きという感じはしなかった。
「飯、食うかな」
「脱水症状になってるかもしれないから、まずは水。もう歯が生えてるなら、牛肉の缶詰があったからソレでもやろう」
「……おし!」
 月島のことばに意気込んだ影山だが、果たして、食糧を目の前に出してやっても仔犬の反応ははかばかしくなかった。
 水は飲むのだが、食べものは口にしない。どころか、影山が缶詰を開けた皿を差し出すと、後ずさりさえする。
「君のこと、怖がってるんじゃない?」
「アァ!?[#「!?」は縦中横]」
 ほら、すぐそういう声出す。と、月島が完全に面白がっている顔でニヤニヤと笑った。
「食欲がないほど、弱ってるって感じもしないんだけど」
「飯が気に食わねえのかな……つうか、俺のほうが腹減ってきた」
「まさかとは思うけど犬のご飯、取らないよね?」
「取らねえよ!![#「!!」は縦中横]」
 面白いように挑発に乗ってしまった影山がひとしきり揶揄われて、月島が何の気なしに缶詰の肉を手に取った時だ。
 指先ほどの肉片を鼻先につきつけると、仔犬は鼻をひくつかせた後、ぱくりと食らいついた 。「あっ」と、ふたりして目を丸くする。
「つ、月島! 食った!」
「やっぱり、君の顔が怖かったみたいだね」
「……うるせぇよ」
 食べものを口に入れたことで勢いがついたのか、やがてひとりでに皿に出された缶詰の肉を、はぐはぐと食べ始める。
「すげえ、やっぱ腹減ってたんだな」
 食い入るように見つめる影山を尻目に、月島はふと立ちあがった。そのまま席を空けて、ややあって戻った月島の手には細長い藍色の箱が握られている。
 もちろん影山は犬に夢中で、全くと言っていいほど気づいていなかったのだが。月島に右手を取られて初めて、違和感を覚えた。
「君には、こっち」
「ん?」
「予定が狂った。ほんとうに見せたかったのは、これ」
 きょとんとしてふり返ると、月島は影山の右手に金色の輝くものを巻きつけていた。影山は、月島が巻いたそれ腕ごと掲げて見る。
「……鎖?」
「そんなようなものかな」
 月島はやや、気恥ずかしそうな顔で自分で巻いた「鎖」を指先で撫でた。
「誕生日、おめでとう」
 いわゆるブレスレットというものだと、認識するまでに多少時間がかかった。細い輪が連なった先には、11[#「11」は縦中横]番目のアルファベットがチャームとして揺れている。
「……ケイだ」
「自分でも、あからさますぎたかもって思ってるよ。でも天下のセッター様がそんなもの身につける機会なんてそうそうないし、いいでしょ」
 やや早口で言って、月島は眼鏡のブリッジを押しあげた。影山は月島とブレスレットに下がった「K[#「K」は縦中横]」の文字とを見比べる。
「いいんじゃ、ねえの」
 呟きながら食事に没頭する仔犬の方へと目をやった。影山の手首は、ちょうど犬の首まわりほどの太さだ。
「……こいつにも、つけてやりてえ」
「ちょっと、誰へのプレゼントか分かってんの!?[#「!?」は縦中横]」
「分かってる。俺のだろ」
 影山はすこし唇を尖らせて、月島の裾を引く。
「気に入ったって、言ってんだよ。分かりやすくて、いい。誰が、誰のもんか」
 口にするや、影山はやにわに、頬があつくなるのを感じた。ぼう然とした月島の顔に、マヌケ面、と思う。
 意識すると止めようもなくむず痒い心地が沸いてくるから、相手から伝染したソレをてっとり早く押しつけ返すために 、影山は月島の胸ぐらを掴むと引きよせた勢いのまま口づけた。
「今年も、さんきゅな」
 
  *
 
 ふたりが同居するマンションにちいさな客人が転がり込んでから、2週間。
 影山は高校の頃から、奇跡でも起きない限り動物に触るのは無理だと冗談半分に揶揄されていた。
 だから、今回もきっと引き取り手が見つかるまで、影山はその犬と和解できないだろうと月島は踏んでいた。
 ──ところが、その奇跡が起きたのだ。驚くべきことに。
 数日前、月島が帰宅するなり「触れた!」と、並々ならぬよろこびようで言われたものだから、月島は「あ、そう」と、逆に淡泊なリアクションしか返せなかった。
 犬に触ることを許されてからというもの、影山の入れこみようはますます悪化していて、家のなかは騒々しいこと、この上ない。
 おかげで、今日もまた、月島の貴重な休息時間は非情にも破られることになる。
「月島! おんたまがひとりでトイレできたぞ!」
「なに?」
 浴室のドアを前置きもなしにガラリと開けて、コート上の王様―コートを出たって変わらないと月島は思う―が仁王立ちで言いはなった。
 素っ裸で浴槽に片脚を突っ込んでいた月島はそのままの姿勢でふり返り、眉根を寄せた。
「トイレで温玉は作れないけど?」
「ちげーよ、ちゃんと床でしないでトイレでしたんだ!」
 月島は訝しい気もちを隠さずに、やけにはしゃいでいる影山の顔を凝視した。といっても、誰よりも視力が悪いと自負している月島の視力では辛うじて影山の頭髪の色が判別できたくらいだったが。
 やがて、影山の言う「おんたま」が、2週間前月島が招き入れた客人のことだと理解するまでにたっぷり数秒は要した 。
「……ああ。分かったから、まずドア、閉めてくんない?」
「お、おお、悪い!」
 全く悪いと思っていない顔で、影山は開け放った時と同じく勢いよく浴室の戸を閉めた。
「……はぁ」
 嵐の去ったバスルームで、月島は湯船に浸かることで、ようやく休日の朝風呂を再開したのだった。
 長風呂を終えて居間に出ていくと、影山が飽きもせずに仔犬を構っているところだった。
 遊ばせるならフローリングにしてほしいのだが、月島の警告は今のところあまり、効力がないらしい。
「トイレ、ちゃんとできたんだ?」
「できた。な?」
 首のあたりを撫でて、影山が犬に同意を求める。すると犬のほうもビー玉のような目でしっぽを振りかえすものだから、影山と犬とのコミュニケーションは、成立しつつあるようだった。
「おんたまは頭がいい」
「ねえ、なんなの、それ」
 傍らのソファに腰を下ろして問うと、床に座った影山が月島のほうを見あげてうん? と小首を傾げた。
「ソレ。おんたまってやつ」
「名前だよ。こいつの」
 どこか得意げに影山が言うものだから、思わず膝に乗せた肘がずり落ちそうになる。なんで、おんたまなの。とか、ツッコむところは当然あるけれど。
「名前なんて、つけてどうするのさ。いつか手離さなきゃなんないとか、考えないワケ?」
「手離さないかも、しんねえだろ」
 そう言った影山はどこか、確信を持っているようでもあり、逆にただ拗ねているようにも見えた。
「僕らお互いに、そんな時間ないでしょ。君だってこれから、本格的にシーズン始まるんだし。無責任なことできないよ」
「……分かってる」
 そう言ってうつむいた影山の表情は見えず、かわりに綺麗な濡れ羽色の直毛とつむじがよく見える。
 かげやま、と呼ん丸い頭を撫でる。影山の膝ではおなじように黒いつやつやとした毛並みの犬が、こちらを見上げてしっぽを振っている。その姿を見て、妙に納得してしまった。
 ──なんか、似てる。
 ──だから、空き箱のなかにうずくまってる君を、放っておけなかったのかな。
 指通りのいい髪を撫でて思案の波間に漂っているうち、影山が口を開いた。
「俺は、お前がこいつにも……首輪、付けてくんねえかなって、思ってる。俺みたいな」
「え?」
 黒い仔犬を撫でる影山の右手には、アルファベットがあしらわれた金のブレスレットがはまっている。
 気に入ったという言葉は偽りではなかったらしい。正直言うと、すこし疑っていたのだ。影山が他人からの贈りものを大事にするなんて。
 けれど影山はこまめにも、月島からの贈り物を身につけていた。見ている月島のほうがこそばゆい思いをするほどに。
「月島」
「──なんの話?」
 影山が背後の月島を振り仰ぐので、月島は思わず目を逸らしてそ知らぬふりをした。それしか、できなかった。
 この王様は、容赦がない。臣下がおとなしく白旗を振るまで、決して離してはくれないのだ。
「おい、目逸らすな」
「ああ、もう! 分かったよ……何か、方法を考えよう」
「ほんとか?」
「ほんとう」
 月島が頷いたとたん、目を輝かせる影山に、完全に主導権を握られているような気もちになる。
「よし、お前はこれからも「おんたま」だ!」
 影山が抱きあげると、「おんたま」はなにかいい匂いでも嗅ぎとったのか、影山の首もとをぺろぺろと舐め回した。
「っは……おい、くすぐってえだろ!」
 影山がちいさく笑う。くすぐったいような、うれしいような、腹だたしいような気もちが急速に腹の底から滲み出てきて、月島はあわてて、影山を抱きよせた。
 腕のなかの影山の身体があたたかい。湯冷めしたのかもしれない。
「なんだ?」
「……なんか、むかつく」
「ア? なにがだよ」
 影山が笑い含みに言う。おんたまはまだ、彼の腕のなかだ。この場所にある体温がひとつからふたつに増えて、それが嫌じゃないことに戸惑う。
 こうして赤の他人と居を共にしていること自体、自分でも不思議に思うことがあるのに。なんなんだろう、これ。なんて言えばいいのかな。
「ペットなんて飼いたいと思ったこと、なかったのに」
 不意の呟きに影山は訝しげな顔を見せたあと、頭をすり寄せてきた。だから衝動的に、影山の髪にキスを落とす。
「けど、飼いたいと思うようになったんだろ。そりゃ、変わるだろ。歳食ったんだし」
 的確なようで、的確ではない影山の呟きが、午前10[#「10」は縦中横]時のひだまりに溶ける。うん、と頷いて肺のなかの息を吐きだすと、まるで影山のことばを肯定するように、ちいさな毛玉がひとこえ鳴いた。