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Eternity

 それは確か、一騎たちが小学校に上がりたての頃。まだ、総士を「傷つける」前のこと。よく晴れたとある春の日、道端に生えていたツクシを総士が摘んで、それを「食べられないだろうか」と一騎が言った。
 ──食べてみたい!
 ──えっ、でもツクシだよ? 
 ──大丈夫、食べられるよ!
 そんな子ども同士のささやかな議論の末、一騎は総士を連れて自宅へと戻り、天ぷら鍋を取り出した。「揚げものは高学年になってから」という父の言いつけを無視して。
 結果、腕に二、三ちいさな火傷をし、摘んできたツクシのうち数本は焦がしたけれど、残りはカラリと綺麗な稲穂色に揚がった。
「ほら、できた!」
 皿に盛った天ぷらを差し出すと、総士はおそるおそるひと口頬張り、あっという間に頬を朱に染めた。
「……おいしい!」
 そう笑って言った総士の顔を見ると、一騎はいても立ってもいられなくなった。自分がつくったものを総士が食べて、しあわせそうな顔をする。そのことに、平たく言えば舞いあがっていた。
 よろこぶ余り思いあまって、
「おおきくなったら、おれが総士のおむこさんになる!」
 気づけばそう、高らかに宣言していた。
 総士は「へっ?」と目を丸くし、まじめな顔ですこし考えた後、おずおずと口を開いた。
「……お、おとこのこの「おむこさん」にはなれないんじゃないのかなぁ?」
「んー……じゃあ、およめさん?」
「そ、それもちがう、ような……」
 困り顔の総士を余所に、その時の一騎は「総士といっしょになる」と、そのことしか考えられなかった。はじめて、誰かと家族になることを誓った日。たぶんそれが、真壁一騎の人生で最初で最後の「プロポーズ」だった。
 
  *
 
 第二次蒼穹作戦の後──総士が北極からの「帰還」を果たし、その体については不明点が多くありながらも、アルヴィスでの任務を再開した頃。時を同じくして、総士に朝食を届ける、というのが一騎の日課と化していた。
 自室やCDC、果てはファフナー格納庫まで。日によって総士の居場所は異なったが、「なんとなく」いそうな場所を訪ねるとたいていの場合見つけられたし、一騎としては特に疑問も抱かなかったのだが。
「なにも、毎日のように持ってこなくたっていい」
 ある時、弁当箱を広げた総士が渋い顔でそう言った。場所はメディカルルーム。総士は早朝から、メディカルチェックを受けていたらしい。
「朝はお前も忙しいのだろう。アルヴィスには食堂だってあるんだ」
 溜息を吐いた総士の言い分はそうだった。けれど実際は、総士は一騎が持ってこなければ朝食を抜くだろうという気がしたし、多分その勘は間違っていない。
「でも、「楽園」の朝の仕込みの残りとかだし。作ってこない日だってあるだろ?」
「僕にばかりかまけるのは感心しない、と言っているんだ。お前にはまだ、家庭を持つという選択肢もあるっていうのに」
 検査着のまま、やけに通った背筋で卵焼きを口に運びながら、総士は言った。そのことばに、喉に小骨が刺さったような痛みを感じて、とっさになにも言えなかった。
 総士の「特殊」な体に対して定期的に行われる検査の結果について、一騎は詳しいところを知らない。けれど、おおよそのアルヴィスの判断については耳に入っていた。
「──それ、お前にはない、みたいな言いかただな」
 言うにこと欠いて、胸の中身をそのまま口にしてしまう。するとしばし沈黙が落ちて、米の一粒まできれいに完食した総士は、弁当箱にきっちり蓋をして言った。
「ごちそうさま。弁当箱は洗って返そう」
「え、いいよ」
 本心から辞したのだが、総士もまた譲らないまま、検査があるからと一騎はメディカルルームから追い出されてしまった。
 その後の一騎は、あからさまに避けられていたと思う。「楽園」での仕事の片手間に再びアルヴィスへと降りたけれど、総士は検査が終わるとCDCでのミーティングに出向いたらしく、その次は「特別な任務があるから」と言って、聞く大人聞く大人から行方をはぐらかされた──たぶん「石棺」と呼ばれる場所なのだろう、と見当はついたけれど──。
 最終的に、下手に動かず待っているほうが早いという結論に達し、総士の自室の前で待つことにした。主のいない部屋の前に座りこんでいると足先から冷えが上ってきて、こころまで冷たくなっていくような気がする。
 ──いつまで「検査」なんて、続ける必要があるのか。
 今の皆城総士が「こちら側」か「あちら側」の存在か、見極めるための度重なるチェック。総士が「竜宮島の住人」じゃなかった時なんて一度もないというのに、なにを、誰に対して証明する必要があるというのか。
 必要なことなのだと、頭では理解している。たとえば自分が、 今よりもずっと子どもだった頃であれば、独りよがりな気もちを突き通そうとしていたかもしれないけれど。
 一騎も同様に定期的なメディカルチェックは受けているものの、あくまでフェストゥム因子の増大が見込まれるファフナー搭乗者の健康維持が目的だ。そして一騎にはまだ、命に関わるほどの決定的な診断は下っていない。
 無人のアルヴィス居住区の片隅で蹲ることしばし、足音が近づいてきたと思うと、彼はすぐそばで立ち止まった。
「一騎。なにをやっているんだ」
 肩を揺すられてやおら顔を上げると、総士の端正な顔立ちが目に入る。無機質な蛍光灯の光に照らしだされて、淡い色の髪が薄金色に見えた。
「……お前を、待ってた」
「待っているなら部屋に入れ。こんなところで、犬じゃあるまいし……。以前、暗号も教えただろう」
「けど、お前に無断で入れない」
 あくまで一騎を邪険にしないやさしさに、居たたまれなくなって顔を背けると、総士は呆れたように零した。
「拗ねるんじゃない」
 言い含められるような言いように、思い当たる節があるから言いかえせない。
「とりあえず、入れ。話があるなら聞くから」
「総士、」
 そう言って離れ行く総士の手を、不意に掴んだのは我ながら動物的とも言える反射神経だった。自分より一℃ほど低いんじゃないかと思えるひんやりとした手を、ぎゅっと握る。
 この手のひらよりも深く繋がれる存在を、一騎は知らない。これから、知りたいとも思わない。
「今日、うちで晩飯食わないか? その……買い出しもあるから、手伝ってもらえると助かる」
 総士は目を瞬き、ちいさく笑って頷いた。
「……お前がそう言うなら。手伝わせてもらおう」
 
  *
 
 夕まぐれの商店街は比較的人通りが多く、にぎわいをみせていた。島の現在位置の関係か、魚屋に並んだ見慣れない色とりどりの魚を見ると気分が削がれて、念頭にあった魚料理は断念する。
 けれど気を取り直して向かった八百屋で、ふんだんに揃った夏野菜の数々を見るとすぐさま献立の候補は思いうかんだ。
「今日ちょっと暑いし、天ぷらでいいか? 家に冷やむぎもあるし」
「僕は、なんでも構わない。これも天ぷらにできるのか?」
 一騎が籠に放りこんだ茄子や|蕃茄《トマト》、|苦瓜《ゴーヤ》や|茗荷《ミョウガ》を見て、総士が不思議そうに問う。
「あぁ、できるよ。結構うまい」
「なるほど。|憶《おぼ》えておこう」
 そう生真面目な顔で、総士は言う。
 このところ、総士は手作りの料理に関心を傾けるようになったようだ。どうやら次の島のコアが目覚めた時、「家庭の味」を味わわせてやりたい、という思いかららしい。
 その志には敬服するが、総士がエプロンを着けて台所器具と格闘しているところを見ると、どうしてもほほ笑ましさが先に立つのも事実だ。
 そして今日もまた、総士は「手伝う」と言って真壁家の台所にやって来た。風呂掃除をしてもらっている間に一騎が大方済ませてしまっていたから、後は皿に盛るだけという状態だったけれど。
「じゃあこれ、小鉢に盛りつけてくれるか。父さんの分もだから、三人分」
「了解した」
 堅苦しい受け答えとともに、総士は任務に取りかかる。
 天ぷらに使った苦瓜と茗荷が残ったから、だし醤油とみりんでおひたしにした。それを、総士が藍色の器によそっていく。お世辞にも繊細とは言いがたい一騎よりも、よほど懇切丁寧な所作で。
「なぁ、総士。今朝、お前があんな風に言ったのって……お前の体が、もう「人」じゃないからか?」
 蕃茄の天ぷらを鍋から引きあげながらふと問うと、総士は手を止めて一騎を見た。
「……誰に聞いた?」
「父さんから」
 嘘を吐いても仕方がないので白状すると、総士は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「機密情報の取り扱いについて、司令には一度、意識を改めてもらう必要があるようだな」
「えっ、俺が怒られるだろ、ソレ」
 思わず本音を漏らすと、総士の目線が刺々しくなる。
「あ、いや……お前が知られたくないって思ったなら、わるかった。でも父さんも、お前のことだから俺に話したんじゃないか?」
「結果、お前に不要な気づかいをさせた。無駄な情報漏洩だった」
 きっぱりと総士が言うことばの意味を覗きこむと、そこは底なしの井戸のようで──けれどその声や目元は、空の|涯《は》てにある|蒼《あお》のように涼やかにみえる。
 すべての野菜を油から上げてから、コンロの火を止めて、一騎は総士の方に向きなおった。
「……俺が、お前の「家族」みたいなものでもか?」
「それは、お前がこれから築くべきもので、僕じゃない」
「でも、俺は……総士以外と「家族」になるつもりはないんだ。昔も今も」
 言うと、途端に総士は目を丸くした。あたかも、寝耳に水、といった表情で。
「……そういう話だったのか?」
「えっ……「そういう話」以外にあったのか?」
 あっけらかんと尋ねると、総士は顔を顰めて「ちょっと考えさせてくれ」と眉間を押さえた。そのリアクションを見てはじめて、自分が明後日なことを言ってしまったのかもしれないと気づく。
「僕は、お前が僕の境遇に同情して、おかしな義理立てをすることに反対しようとしたんだが……」
「わ、わるい」
 コミュニケーションの食い違いがあることは分かった。
 けれど、どうしてかショックを受けているようすの総士にそれ以上言いつのるのも憚られて、とりあえず飯にするか、とふたりで夕餉の席に着く。
 まるまると育った夏野菜の天ぷらで腹がふくれると、それだけで気分が落ちつくように思えるから単純なものだ。
 食事を終えた頃には夜も深い時間帯に差しかかっていて、最初からそのつもりだった一騎が「泊まっていくだろ?」と問うと、総士もまた了承してくれた。
 総士に先に湯を使わせ、寝床の支度を調えている時、一騎は決定的なミスに気がついた。布団が足りないのだ。たまたま、ひと組打ち直しに出してしまっていることを、すっかり失念していた。
 そのことを伝えると総士はあっさり、
「そんなことか、大した問題じゃない。僕が床で寝ればいいだけのことだ」
「えっ!?[#「!?」は縦中横] そんなのダメだ、俺が床で寝る!」
「いいから客人の意思を尊重しろ」
 冷静に考えるとバカバカしい言いあいの末、ひと組の布団にふたりで入るという妥協案で決着した。
 物静かな室内で、窮屈な布団にふたりでくるまる。まだすこし肌寒い夜風が、わずかに開けた窓から流れこんで風鈴を揺らす。
 このまま眠りに落ちたいような、まだもったいないような|微睡《まどろ》みのなかを泳いでいると、総士がぽつりと言った。
「正直に言えば……お前が家庭を持ってはくれないだろうか、というのは、僕のワガママな願望だ」
「ワガママ……って」
 それのどこがワガママなのか、一騎には分からない。けれどきっと、自分の望みも傍から見れば違った風に受け取られるのかもしれない。
「俺のも……たぶん、ワガママなんだと思う」
「お互いに自分本位か」
 暗がりのなかでおかしげに笑う声を聞くと、ふと、そのぬくもりが恋しくなる。これだけ近くにいるくせに、まだ足りない。
「手、繋いでいいか?」
「……好きにしろ」
 呆れ混じりながらもおゆるしが出て、たまらず、背後から腕を伸ばす。
 ニーベルングの|指環痕《ゆびわあと》の残る指の根まで余さず絡めると、|巨竜《ファフナー》に成って、いちばん深い場所で繋がりあった時のように、満ち足りた気分に襲われた。
「なぁ、総士。次のコアが生まれたら、お前が飯作るの、俺にも手伝わせてほしい」
 その頼みには、すぐさま答えが返らなかった。代わりに手のひらを握りかえす、やんわりとした感触がある。
 総士の願いを叶えてやれないのだとしたら、それはなんというか、「不忠」みたいなものなんだろう。できることなら、総士の意志に背く自分でいたくはない。けれどこればかりは、譲れなかった。
 明日も、明後日も総士といたいという想いは、子どもの頃から今もすこしも色あせることがない。自分でも不思議に思うほどに。ほかの誰かじゃあ、だめなのだ。皆城総士でなければ。
「俺は……お前のそばにいたい」
 口下手な自分を呪いながらも、きれいに形にできない想いを口にする。総士はしばし口を噤んでいたけれど、ややあって吐息混じりの声を耳が拾った。
「……ありがとう」
 振りかえり、抱きしめかえしてくれたその腕の温度に泣きそうになる。
 ──死が、ふたりを分かつまで。
 どこかで聞いたことのある、おとぎ話のような祈りのことばが脳裏に浮かんで、夢の波間に消えていく。
 現実にそんな台詞を言う日はきっと来ないだろうけれど、このぬくもりは「永遠」を感じさせてくれる。
「おやすみ、一騎」
 心地よいさざ波のような総士の声を子守唄にして、一騎はゆっくりと目を閉じた。