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Home Sweet Home

 はじめその|艦船《ふね》を目にしたとき、巨大さから、小黒は船だと気づかなかった。だがそれはたしかに「船」であり、一時的、あるいは恒久的に身を寄せた者たちにとっての「家」でもあった。
「|小黒《シャオヘイ》!」
 ロドス艦の食堂に足を踏み入れた時、小黒を包んでいたそこはかとない心細さは、耳慣れた声が自分を呼ぶ声のおかげで一息に吹き飛んだ。
「|小白《シャオバイ》!」
 縦横に並んだテーブルのうちの一つに、小黒にとってはじめてできた人間の友人・小白が腰掛けて手を振っていた。小黒はにわかに表情を和らげて、彼女の方へと向かう。小黒や小白がロドスへとやって来て数ヶ月。ほかのオペレーターに交じって食事をとる生活にも、すっかりと慣れつつある。
 小黒たちが一時身を寄せているロドス──正式名ロドス・アイランド製薬は、|大地《テラ》と呼ばれる世界の各地で活躍する、民間の製薬会社だ。しかし実態は、「製薬会社」と聞いて小黒が思い浮かべていたそれとはずいぶん異なっていた。
 単に薬を製造・販売するだけでなく、迫害や戦争などを含む「感染者問題」を包括的に解決するため、戦闘部隊を有していること。そして必要とあらば、実際にその武力を行使することも厭わないこと。
 ロドスには現在、二〇〇を優に超えるオペレーターが所属していると聞く。数が多いことはもちろん、ロドス本艦に常駐しているオペレーターばかりではないため、小黒はそのすべてを見かけたことはない。
 もちろん、小黒が暮らす世界にも「製薬会社」はあった。中立的な立場から、紛争地や災害地などで医療を提供する非政府組織も。だがロドスのように、戦禍から身を守る術を自前で有する製薬会社は、見たことがなかった。
 一方で、ロドスによく似た組織については小黒にも心当たりがあった。小黒と、その師である|無限《ムゲン》が属する「館」と呼ばれる場所だ。妖精と|鉱石病《オリパシー》患者という違いはあるにせよ、いずれも社会の片隅に追いやられた者たちに居場所を与えている。
 めったに他人に気を許すことがない小黒が「ここに留まってもいい」と思えるのは、だからかもしれない。それに、友人である小白と阿根にも無事再会できた。ただの「慈善団体」として見るにはなかなか危険な気配も感じるが、修練も好きなときにでき、手合わせを頼む相手にも事欠かないロドスのことを、幸いなことに小黒は気に入っている。
 加えて言うなら、ロドスではおいしくて珍しい料理を毎日食べられるのだ。それも、オペレーターであれば無料で。こんなにすばらしいことはない。
「小黒、お疲れさま!」
 向かいに座った小白が、もとの世界にいたときと変わらないほがらかな笑みを湛えて言った。ややぶっきらぼうなきらいのある小黒も、その笑みを見るとほだされて、自然に表情が和らいでいる。
「今日の任務、どうだった?」
「どうってことないさ。もっと危険な任務でもいいのに」
「あはは、小黒は強いもんね」
 小黒が|嘯《うそぶ》くと、小白は否定もせずそう言ってくれる。かつて「剣聖」と謳われた師・無限の下で研鑽を積んできた小黒にとって、ロドスから与えられる任務は安全すぎると言っていいくらいだった。
 どちらかといえば仲間のサポート役が多く、とどめを刺す役割を任されることもない。
「君の安全をちゃんと考えてくれてるんだよ。君はまだ執行人としても修行中だし……大地に来てからだって、それほど経ってないだろ?」
 小黒も内心では分かっていることを、背後からの声が代弁した。|阿根《アグン》だった。手にしたトレイには、小黒と小白の分も合わせた食べ盛り三人前の昼食が乗っている。
「それは──分かってるけど」
「お兄ちゃん、おかえり!」
 もっともなことを言われて、小黒はまだ出てきそうな不満を呑み込んだ。しかしどことなく蟠っていた気もちは、湯気の立つパンやスープを目の前にすると食欲に押しつぶされて霧散していく。
 阿根曰く、今日のメニューは「シラクーザ風」とのことである。夏野菜とファルファッレのクリームチーズマカロニ・羽獣のカチャトーラ風・花ズッキーニのフリットなど、皿の中には色とりどりの料理が並ぶ。
 小黒たちが最初に受けた説明によれば、ロドスの後方支援部には専属の調理スタッフがおり、ほぼ日替わりで各国・文化の献立が並ぶ。ただ料理の品数が多いだけでなく、菜食を希望する者や、信仰によって食べられる食材が限られる者、鉱石病の進行によって嚥下に困難を抱える者向けなど、可能な限り幅広いニーズを満たすことを目指しているそうだ。
 たかが食事ではあるが、ここもまたロドスの志が感じられる場所の一つといえるのかもしれない。
「いただきます!」
 三人同時に手を合わせて、それぞれの皿に取り分けるそばから頬張った。ファルファッレは蝶のような形をしたショートマカロニのことで、独特な形にチーズソースが絡んでとても美味だ。
 おいしいご飯はしあわせな気持ちをもたらしてくれるが、唯一弊害もある。今は会えない大事な人がそばにいてくれたらいいのにと、つい考えてしまうことだ。
  ──師匠にも食べさせたかった。
 無理な望みだと分かってはいても、ふと頭に浮かぶ思いは消せない。小黒たちが元いた世界に戻るための手がかりは、数ヶ月経った今もなお見つかっていない。
「小黒、大丈夫?」
 黙りこくった小黒に小白が気づいたとき、食堂にもう一つ声が響いた。
「小黒!」
 気づくと、大柄なペッローが人好きのする表情で歩み寄ってきていた。
「吽、久しぶり!」
「調子はどうだい? ロドスの人たちとは上手くやってる?」
「うん。平気だよ」
 食べものは口に合うかどうか、任務はこなせているかどうかと、吽はまるで兄が弟にするように、小黒の近況を矢継ぎ早に尋ねてくる。事務所とロドスの橋渡し役を務めている立場的なものあるのだろうが、元来世話焼きな性格ゆえでもあるのだろう。
 お節介ともいえる距離感が小黒にとっては|擽《くすぐ》ったく、また見知らぬ土地にあってはありがたくもある。
「小白、阿根も。なにか不便はない?」
「もちろん!」
「吽さんは、今日は任務ですか?」
 阿根が問いかえす。炎国・龍門にある|鯉《リー》探偵事務所はロドスとの協定に基づき、、所長の鯉含め全員がロドスのオペレーターとして任務を請け負っている。吽は探偵事務所メンバーの後見人を務めていることもあり、定期的にロドスと龍門とを行ったり来たりしていた。
「いいや、ちょっと探偵事務所からの届けものがあってね。それと、小黒。君にも知らせがあって」
「僕に?」
 うん、と吽が頷く。
「実は、龍門である人を見かけたって噂を聞いたんだ。その人は、金属を自在に操る仙人風の剣客だったらしい」
「え、」
 思わずカトラリーを取り落とす。小黒は戦闘時も含め、滅多に他人の前で動揺する姿を見せたことはない。だが、今回ばかりはそうもいかなかった。
「それって──」
「無限さん?」
 喉がつっかえてしまった小黒の代わりに、小白が問う。吽は控えめにかぶりを横に振った。
「事務所でも噂の真相を探ってるけど、まだ分からない。もちろんアーツって可能性もある。ただ、鯉先生もそんな能力は耳慣れないって言うし、小黒に聞かせてもらったお師匠さんの話によく似ているから、念のために知らせに来たんだ」
「僕、探しに行く!」
 立ち上がり、今にも食堂を飛び出していきそうな勢いで小黒は叫んだ。
「探すとして……なにか手がかりはあるんでしょうか?」
「いま分かることは目撃情報があった場所くらいだけど、事務所でも情報収集の手助けならできると思うよ」
「まずは、ロドスの人たちに話をしてみたほうがいいかもね」
 阿根に冷静に言われて、小黒はすこしだけ落ち着きを取り戻す。辛うじて首肯で返したものの、頭はすでに無限に似た人物のことでいっぱいだった。
 
  *
 
「それで、龍門に調査に行きたいと」
 ケルシーは、今し方終えた小黒の検査結果を電子カルテに入力しながら言った。小黒と同じように猫の耳を携えたその人は、特別ガタイがいいわけではなく、むしろ|痩躯《そうく》と言ったほうが相応しいにもかかわらず、もの言いや態度によって近づきがたい雰囲気を感じさせた。
 ロドスのオペレーターとして加入する際、小黒はケルシーにはじめて会った。リーダーのアーミヤ、指揮官であるドクターと並んで、トップの一人であるという。
 ロドスでは外勤、特に戦闘任務に当たるオペレーターは内勤の者よりも頻繁なメディカルチェックが義務づけられている。加えて小黒の場合、アーツではなく「能力」を用いるという特殊な事情──大地の外からやって来たと明言していなくとも、なぜかケルシーは察しているようだった──を鑑みて、数回に一回はケルシーが直接検診に当たることになっていた。ほかにも数数えきれない患者の治療に当たり、なおかつロドスの運営全般の差配を並行して行なっているというのに、ケルシーが「数回に一回」という頻度を減らすことは決してなかった。
 小黒はケルシーの確認に近い問いに頷く。
「うん。だから任務を休んでもいい?」
「構わない。休暇はオペレーターの基本的な権利であり、エリートオペレーターを除き、つねに欠員が出る可能性は考慮した上で運営はされている。病状によって体調にムラがある者も多いからな。元々日程が空いているのなら、事後連絡も可能だ」
 ケルシーは検査結果の数字にひと通り目を通し、椅子に腰を下ろしたまま小黒に向き直った。
 数ヶ月という期間を経て、今では小黒はケルシーのことを信頼している。けれどそれだけの時間をかけなくても、いかに信頼に足る人物と思われているかは、他の医療オペレーターなどの言動から十分察せられた。少なくない者が、ケルシーのことをこう言っていた。
  ──分かりにくいけど、非情な人じゃないんだよ、と。
 それを本人に伝えたところで「職責を果たしているに過ぎない」と流されてしまうというところまで、複数の証言は一致していた。
「ここでの暮らしで、とくに不便はないか?」
「ないよ。ご飯もおいしいし」
「そうか。ストレスチェックの結果も、君の主張を裏付けているな。だが、無理はするなよ。君の戦闘能力はエリートオペレーターも認めるところだが、まだ責任を負うよりも、自らの可能性を広げるべき時だ。困ったことがあれば私でも、ドクターでも、相談することのできる大人がここには大勢いる」
 回りくどい言い回しだが、つまりは「子どもなのだから大人に甘えろ」ということだ。
 小黒は、元来人なつっこい性格ではない。無限や、小白や阿根といった友人を除いて他人に気を許すこともあまりない。それは、小黒が幼少のみぎりから一人で生きてきた経験から来ているもので、そうそう変わらない。
 だが、ケルシーにすこしだけ親しみやすさを感じるのは、どこか面影が重なるからかもしれない。
「ケルシーは、僕の師匠にちょっと似てるね」
 小黒の発言が意外だったのか、ケルシーは僅かばかり驚きを滲ませ、逡巡の末に言った。
「……私には、君の師のような剣の才はないが」
 無論、両者は姿も性格も、あらゆる点でかけ離れている。だがこのロドス艦が小黒の知る「館」に通じるものがあるように、寄る辺ない者たちにこころを砕き続ける無限とケルシーも、すこしだけ重なる部分があるように小黒には思えた。
「ケルシーは、行く場所がない人を見つけるとすぐ拾ってきちゃうって聞いた。師匠も、誰でもすぐ拾ってきちゃうんだ。僕も師匠に拾われたし」
 無限のことを話すとき、決まって小黒の頬はすこし緩んで、誇らしいような気もちになる。ケルシーがいかに尊敬できるかということを熱弁していたオペレーターたちも、同じ気持ちだったのかもしれない。
 ケルシーはしばし返すことばに詰まっていたようだったけれど、最後には「否定はしない」と遠回しに肯定した。
「その意見を君に述べた者が誰か訊いてもいいか?」
「クロージャだよ!」
 小黒が情報源を明かすと、ケルシーはまったく意外ではないといった風に、ちいさく溜息を吐いた。