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Gleam of Light

 満天の星が輝いていたレイタ山脈の空が徐々に白み、ゆっくりと朝の気配を漂わせていく。レノックスは羊小屋の掃除を終えて、羊たちをいつもの放牧場所に連れていくべく、まだ冷たい空気のなかをゆっくりと歩きはじめる。
 この仕事をレノックスに紹介した大魔法使いは「牧羊犬も飼ったら?」と勧めたが、まだそこまで、この土地に根を張る心持ちになれずにいる。だから今日も、ひとりで仕事に出る。
 群れになって通いなれた道を歩いていく羊たちの後をついて歩きながら、レノックスはふと自生していた植物に目を留めて、摘み取った。薬草にもできるハーブで、低地から高山帯まで幅広くみられるため重宝するが、特別変わったものでもない。
 ただ目にすると、今でもなおレノックスの心に生きつづける人が、好んでいたことを思い出した。レノックスがハーブティにして給仕したことも、幾度となくあった。
 大事な存在とともに理想を失って数百年が経ち、ここ南の国で羊飼いとしての仕事を始めると、長い長い旅の疲労がすこしずつ癒されていくのが分かった。仕事は骨が折れることもあるけれど苦ではなく、旧知である大魔法使いをはじめ、家族にも等しいような知りあいも随分とできた。
 けれどいまだに、思いだす。失ってはいけないものを、自分は失ったのだと。レノックスは薄く雲がたなびく空を見上げて、こころのなかで問いかける。
 ──ファウスト様……今、どこにいらっしゃいますか。
 ──どこかで、安らかに過ごしていらっしゃるのでしょうか。
 もしもう一度会うことができたなら、伝えたいことが山ほどあった。ともにいさせてくれたことの感謝、護れなかったことの謝罪、できることならまた、そばにいさせてほしいという願い。
 自分が彼を探して、あてのない旅を続けていたこと。旅の途中、魔法使いとも人間とも、様々な人との出会いがあったこと。
 ──あなたが夢見た国にも行きました。あなたは、そこにはいませんでしたが。
 主君がレノックスたち魔法使いを率い、建国のために尽力したグランヴェル王朝は、数百年の長きにわたり続き、現在の街中では、時おり魔法使いと思わしき子どもの姿も見かける。
 ファウストのかつての理想とは異なるかもしれないが、それでも伝えたかった。今、そこで育ちいく魔法使いたちがいるということ。ファウストが作ろうとした世界が、歪みを孕みながらもなお、消えずに続いていること。
 ──それなのにこの世界に、あなただけがいない。
 薄紅色に染まった雲の切れ間から、天使の梯子がまばゆく差して、気がつけばレノックスの頬を涙が伝っていた。
 ──あなたなしで生きている俺を、あなたはどんな目で見るでしょうか。
 まるで過去の戦争や悲劇などなかったかのように、穏やかに日々の生活を営んでいる自分を。怒るか、悲しむか、それとも「忘れろ」と言われるのか。
 ──困ったことに、あなたに別れを告げる方法が、自分でも分からないのです。
 羊飼いとして南の国にいついたが、使い道を見失ってレノックスの手の中に残った鍵は、いまだに捨てられず、鞄に下げたままになっている。
「……ファウスト様……」
 いつかまた会うことが叶ったら──このおおらかでうつくしい山脈の景色を、あなたにもお見せしたいです。
 ──ですから、どうかご無事で。
 朝焼けの空に願いながら、レノックスは目元を拭い、再び歩を進めた。自分と羊しかいない、広い広い草原のただなかを。